「電池の切れたリモコンを放置」「現金のみの自販機にも慣れてしまう」 欲望レベルを下げることはいいことなのか?(古市憲寿)

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 寝室に置いているテレビのリモコンの電池が切れたのだが、かれこれ2カ月ほど替えていない。30秒ほどで済む作業なのだから今すぐ取りかかればいいのに、なぜか面倒だと思ってしまう。寝室のテレビを使うのは、「めざまし8」という朝の番組に出るために早起きする時くらい。つまり週に1度。その時は本体の電源ボタンを押せば事足りる。結果、リモコンを使わないまま2カ月が過ぎた。

 もちろんリモコンを使った方が便利なのは知っている。だが今の状況に耐えがたいほど困っているわけではない。一度上がった生活レベルは下げられないという話があるが、人間というのは意外とすぐ環境に順応してしまうのではないか。

 話は変わって、先日、奈良の明日香村へ行ってきた。高松塚古墳とキトラ古墳の壁画の公開があったのだ。共に西暦700年前後に造られた壁画古墳として知られるが、損傷が激しくなったことで、修理に至った。

 当日は35度前後の猛暑日。メディアは口酸っぱく水分補給を忘れるなと言う。大阪阿部野橋から向かったのだが、駅のホームには自動販売機があった。しかし現金しか使えない。

 丁寧にも英語で「How to buy a drink」という説明が書かれている。それなら世界標準になったクレジットカードのタッチ決済に対応すべきだ。どの国でも自販機なんて似た仕組みなんだから説明などいらない。仕方なく財布を出して、小銭で麦茶を買った。

 飛鳥駅へ到着する。当然、流しのタクシーが走っているわけではない。日本ではUberのようなライドシェアがほぼ禁止。結果的に徒歩での移動が多くなる。

 さっき阿部野橋で買った麦茶はすでに飲んでしまった。喉が渇く。だが古墳へ向かう道中、広がるのは田んぼと山ばかりである。グーグルマップでコンビニを探すものの、結構な距離を歩かないとならない。

 これは困ったと思った時、自動販売機が見えた。当然のように現金しか使えない。だがそれでもありがたいと感じてしまった。たった1時間ほどで、確実に欲望のレベルが下がったのだ。

 暑い日だったので、明日香村では3度ほど自販機を使った。もちろん電子マネーなんて使えない。大都市では不満を抱く電子マネーを受け付けない自販機に対して、むしろ感謝している自分に気が付いた。

 果たしてこれでいいのか。欲望によって社会はここまで発展したのではないか。欠乏に慣れることは、社会の停滞を意味しないか。だが不満と愚痴ばかりの人よりも、足るを知る人の方が格好よく上品にも見える。

 現代の日本社会も、更なる欲望を肯定するかで逡巡しているように思える。東京五輪や大阪万博など経済的な欲望を可視化したようなイベントは炎上しやすい。ただし足るを知るとは貧乏や欠乏を受け入れること。果たしてその覚悟を持てるのか。欲望レベルを下げすぎるのもよくないだろうから、リモコンの電池はすぐにでも替えようと思う。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

2023年9月7日号掲載

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