スーツは「洋服の青山」で新幹線は普通席…ビッグモーター・兼重宏行社長の「ドケチ伝説」と2代目「MBA息子」の“傲慢LINE説教”

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高卒でも幹部になれる会社

 ただ、社員にアメを与え、モチベーションを上げることに金は惜しまなかった。このマカオ旅行も、Aさんが店長時代、保険契約1億円を達成したことで、店の社員全員に対して与えられた褒賞旅行だった。

「私が勤め出した最初の頃は、店長会議は福岡で開かれるのが恒例でしたが、会議を終えた後はもつ鍋屋で食事会。その後、ラウンジに連れて行ってくれました。けれど、兼重さんは最初の乾杯だけ付き合って、『後は好きにしんさい』と言って帰ります。古株の先輩は、『昔は遊び人だった』と話していましたが、私がいた頃は女性絡みの話は噂でも聞いたことはありません」

 給料も同様だ。成績を出した者は報われ、ダメな者は一向に上がらない。営業成績の良かったAさんは1〜2年で給料が800万円を突破、最終的には2000万円近くにまで到達したという。

「学歴は不問で、高卒の人でも結果を出せば出世できる会社でした。ただ、体育会系のノリについて来られない人はどんどんやめていきます。私も最初の頃はお客さんと商談中に上司に呼ばれ、『あの客帰らせたら、オメーも今日帰れんけーな』ってよく詰められましたよ。発祥の地が山口県岩国市なんで、社長だけでなく社員も上の連中は広島弁を使う人が多いんです」

“2代目”になってノルマが厳しくなった

 離職率が桁違いに高いことを示す「数字」もある。それは社員番号だ。入社順に通し番号で付けられ、00年代に入社したAさんは1000番台。だが、「2、3年前は2万台で、今は4万台だと聞いています」。同社のホームページには社員数6000名(21年12月現在)とあるが、次々と入っては辞めていく会社なのだ。

 兼重氏というカリスマ的ワンマン経営者のもと、急成長を遂げてきたビッグモーターが、おかしくなり始めたのは2018年頃のこと。兼重氏が社長業を息子の宏一氏(35)に任せるようになってからだった。

「宏一さんになって、一段とノルマに対するプレッシャーが厳しくなったと聞いています。私は営業畑だったので、修理工場のことはそこまで詳しくありませんが、私のいた頃、つまり兼重さんが目を光らせている頃は、こんな不正は絶対にさせなかった」

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