「走る哲学者」為末大が半生をかけて考え抜いた「いかに学ぶべきか」の最終回答

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元オリンピアンでよかった

 人はどうやって学んでいるのだろうか。なぜうまくなるのだろうか。どうやって問題に「気づいて」いるのか。学習していく中でその人の内側で何が起きているのか。何がその人の成長を阻害するのか。そしてどうやって切り抜けるのか。外から働きかけることでその人の成長を促すことはできるのか。

 そんなことを考え始めたら止まらなくなることがよくあった。夢中で陸上競技を探求していくうちに、自分という存在を通じて人間を理解していく感覚があった。何かができるようになり、できるようになることで自分自身が変化するという、熟達のプロセスだ。引退したあと、時間ができたこともあり、興味が爆発した。あらゆる分野の達人、熟達者に会えるということにおいて、これほど元オリンピアンでよかったと思ったことはなかった。

 将棋の羽生善治さん、囲碁の井山裕太さん、iPS細胞の山中伸弥教授、パラリンピックのスプリンターであるジョニー・ピーコック選手、車椅子テニスの国枝慎吾選手、コーヒーバリスタの井崎英典さん、ラグビーのエディ・ジョーンズ監督、生物学者の福岡伸一さん、臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師、サッカー元日本代表監督の岡田武史さん、スポーツ庁長官の室伏広治さん、女子マラソンの高橋尚子さん、マラソンコーチの故小出義雄監督。ここでは一部しか挙げられないが、著名ではないが優れた技術を持った方々にも多く話を聞くことができた。あらゆる“熟達者”に話を聞いて、どんな学習プロセスだったのかを学ぶうちに、共通点がいくつもあることに気づいた。

 基本となるものを持っている/迷うと基本に返っている/人生で何かに深く没頭した時期がある/感覚を大事にしている/おかしいと気づくのが早い/自然であろうとしている/自分がやっていることと距離を取る態度を身につけている/専門外の分野から学んだ経験がある……。

 人間が学習するうえで、何かを積み重ねて理解していく方法には共通点があるようだ。文字は繰り返し書いていけばいずれ自然と覚えていく。だが、何かの技術を極めていく時にはそれだけでは越えられない段階がいくつもある。その都度アプローチを変え乗り越えていかなければ熟達者にはなれない。私が知りたかった学習システムはまさにこれだった。人間がどう学び、成熟し、技術が卓越していくのか。どういう段階を経て成長していくのか。興味は尽きなかった。

 私は人間を考える時、いつも三浦梅園のこの言葉を思い出す。

「枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け」

 枯れた木に花が咲くことは、驚くべきことだろう。しかし、引いた目で見ると、そもそも芽が出て花が咲き、散って、新たな芽が生まれるこのプロセスこそが不思議ではないだろうか。なぜ命が生まれ、終わり、そして新たな命が生まれるのか。日常的に目にしている当たり前の風景に慣れてしまっているが、少し考えてみれば「生きていること」そのものが不思議ではないだろうか。

 一〇〇メートルを九秒台 で走ることも、ノーベル賞を受賞することも、ショパンコンクールで賞を獲ることも、常人からすれば信じがたいことだ。だが、もっと不思議なのは、学習し熟達させていく能力を誰もが持ち合わせていることだ。

 何かを極めた人、そして熟達への考察を通じて、人間の学びを理解し、そして人間にしかできないことがわかっていくのではないかと考えている。熟達の道は特別なものではなく、すべての人に開かれている〉

現代の「五輪書」の中身は

 為末によると、基礎の習得から境地まで、人間の成長には5つの段階があるという。

 第一段階 遊 不規則さを身につける。

 第二段階 型 無意識にできるようになる

 第三段階 観 部分、関係、構造がわかる

 第四段階 心 中心をつかみ自在になる

 第五段階 空 我を忘れる

 経験と考察が融合した、現代の「五輪書」ともいえる今回の書籍だが、担当編集者によると、

「大きく、五度も改稿を重ねて完成させてくださいました。佇まいが独特で、静謐な存在感がある方です。執筆したご本人にとっては、まだまだ熟達の道は続いているとのこと。今後は執筆活動に力点を置きたいそうです」

デイリー新潮編集部

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