「ミュージック・ライフ」元編集長が証言する“洋楽黄金時代” 日本で成功したクイーンとボン・ジョヴィ マドンナとマイケル・ジャクソンの出現で「ロックの時代は終わる」

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洋楽全盛期と音楽業界の変貌

「ミュージック・ライフ」が最も売れたのは1984年、25万部の実売を誇った。80年代初頭からの日本における“洋楽黄金時代”をリードしたのが同誌だった。

「私が編集長をしていた時期は、洋楽業界でいう第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの時期と重なります。直訳すると“英国の侵略”となりますけど、60年代のビートルズ、ローリング・ストーンズに続く第2波という位置づけですが、第2次の大きな特徴は81年にアメリカで始まったMTVの存在です」

 ミュージックビデオは、70年代後半からプロモーション用として存在したという。その頃はライブ映像が多く、ロックが中心だったが、ストーリー性を持たせたり、セットにお金をかけたりと、だんだんと手の込んだミュージックビデオが流れるようになる。

「その中でもイギリスのバンドはファッショナブルで、メンバーのルックスもよくて、着ている服もオシャレでしたからね。ワム!、カルチャー・クラブ、デュラン・デュラン、すでにブレイクしていたクイーンやポリス、デヴィット・ボウイなど、相次いでイギリスのミュージシャンが世界を席巻しました。この頃、アメリカのミュージシャンで売れたのは、ダリル・ホール&ジョン・オーツ、ブルース・スプリングスティーン、ヒューイ・ルイスくらいかな。でも、デュランにはお世話になりましたね。84年はまさに、デュランが絶頂期ですよ。今はもうオジサンですけど、いまだ健在というのも凄いですね」

最後の大物ロックミュージシャン

 そんな中、東郷さんにとって「これでロックの時代は終わるな」と思った象徴的なアーティストが現れる。

「マドンナとマイケル・ジャクソンです。彼らのプロモーションは、本体のレコード会社が全てを決めるんです。マドンナの新譜が出る、つきましてはアメリカ本社ではこうやって売るから、このように宣伝展開して欲しいと、世界各国のレコード会社に発信するんです。日本ならこうやってとか、独自の売り方ができないんです。別の見方をすれば、ミュージシャンの側が雑誌だけに頼る時代ではなくなった、ということでもあったんです」

 ミュージシャン、レコード会社、ファン、専門誌という4つの軸がしっかり機能してヒットとブームを作るのではなく、ミュージシャンとレコード会社が方針を決める――時代は大きく変わっていった。

「マイケルとマドンナは80年代から大活躍ですけど、あの二人は表紙になっていないですよ。知名度や売上げからいったら、表紙になっていてもおかしくないんですけどね。そうこうするうちに90年代はダンスにヒップホップ、そしてラップが出てくる。どんどんロックが疲弊していくんですよ」

 東郷さんの思い出の中で、最後に日本独自のやり方で売り込み、世界的なバンドに育てたロックスターとは誰なのか?

「ボン・ジョヴィです。彼らのデビューは84年。その年8月、日本で開かれたヘヴィメタルやハードロックのバンドが複数出演した『SUPER ROCK ‘84 IN JAPAN』で初来日しました。でも、この時はまだ前座というか、一番下っ端の存在という感じでした。でも、私はそうは思わなかった。あ、この人たち売れるな、と直感しましたね」

 東郷さんの直感の源は、リーダーでボーカルのジョン・ボン・ジョヴィだったという。

「ものすごい野心の塊なんですよ。有名になりたい、その一心で。バンドで世界を目指すなら、それぐらいじゃないとダメですから。この人は違うな、売れるな、と確信しました。ギターのリッチー・サンボラも可愛いしね。あと、デビュー曲の『夜明けのランナウェイ』。なんというか、曲調が歌謡曲みたいでしょ。そのまま西城秀樹さんが日本語版を唄っても違和感がないような」

 見事、ボン・ジョヴィは世界に知られたバンドとなるが、「ミュージック・ライフ」も恩恵を受けたと東郷さんは言う。

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