「ミュージック・ライフ」元編集長が証言する“洋楽黄金時代” 日本で成功したクイーンとボン・ジョヴィ マドンナとマイケル・ジャクソンの出現で「ロックの時代は終わる」

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 1937年の創刊から98年の休刊まで、洋楽の魅力と素晴らしさを読者に提供し続けた雑誌「ミュージック・ライフ」。同誌に掲載された貴重な写真や記事を厳選した「ミュージック・ライフ大全」が3月に刊行された。発行元のシンコーミュージック・エンタテインメントによると、購読者の年齢構成は50歳以上が45%、30~49歳が40%で、男女比は6対4で男性のほうが多いという。彼ら彼女らが青春を謳歌した80年代に、同誌は最も売れた。当時、編集長を務めた音楽評論家の東郷かおる子さんに、全盛期の思い出を語ってもらった。(前後編の後編)

今までと同じことをやろう

 3年間の副編集長を経て、東郷さんは1979年4月号から「ミュージック・ライフ」第4代編集長に就任した。その際に決めたことは「今までと同じことをやる。それが一番、読者のためになる」だった。

「企画会議ではこれから来日するアーティストを列記して、これは誰に担当してもらおうかと決めていきます。基本的には、そのアーティストやミュージシャンのことが大好きなライターと編集者に記事を担当させます。これは私が新人の時からそうでした。その後で、部員たちと最近気になる、あの人面白そうというミュージシャンの話をして、そこから記事にできそうなメニューを決めて進行表を作ります」

 東郷さんには“確信”もあった。自分が「いい」と思ったものは必ず売れる。ただ、何もしないで売れることはない。ミュージシャン、レコード会社、ファン、そして専門誌の4つがしっかり機能すれば、ヒット=スターが生まれる。

 あまりにも有名なエピソードだが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)の世界的ヒットで改めて世代を超える人気を集めたクイーンを、東郷さんは1973年頃から強くプッシュし、日本で絶大な人気を誇るバンドにした功労者として知られる。

「私が編集長になった年に再来日したチープ・トリックもそう。アメリカではほとんど無名に近いバンドだったのですが、ボーカルのロビン・ザンダーはなかなかのイケメンだし、ギターのリック・ニールセンは特異なキャラクターだし、これはイケるんじゃないかと思って猛プッシュして。彼らは日本で先にブレイクしたんです。代表アルバムでもある『チープ・トリックat武道館』(1978年)は最初、アメリカでの発売予定はなかったんです。ところが、どこかのラジオ局が紹介したら、冒頭から女の子のワ―キャーという大歓声が聴こえてきて。彼らはこんなに人気があるのか、となって、翌年、アメリカでの発売が決まり、ビルボードチャートでトップ10入りしました」

誌面を飾った名物記事の数々

「ミュージック・ライフ大全」には、かつて同誌に掲載された秘蔵写真が数多く掲載されている。復刻された記事も興味深いものが多い。対談では、リンゴ・スター(ビートルズ)と劇作家・つかこうへい氏(1976年12月号)、トム・ショルツ(ボストン)と冨田勲氏(79年6月号)、ポリスと内田裕也氏(1980年4月号)など、今読んでも十分面白く、中身の濃い記事が目立つ。中でも、東郷さんが編集長に就任した翌80年6月号では、おすぎとピーコが男性シンガーについて対談しており、

《ポール・ウェラーは「キスがうまそう」》

《スティングは「まっすぐ見たらひらべったい顔」》

 などと実に味のある(?)記事になっている。

「おすピーの二人と仲が良かったんです。もともと私は映画が好きですし、二人には私のおススメの洋楽を聴いてもらって。それで、おすぎさんには連載で映画評も書いてもらいました。他には読者投稿のコーナーもありましてね。色々なネタを投稿してもらいました」

 記者も覚えているのは、これだ。

《東郷かおる子編集長は、後ろから見るとマッチ棒に似ている》

「そうなんですよ。私までネタになるなんてね。あの頃は痩せていて、髪もショートでね、そう見えたんでしょう。椅子に座ると“折れたマッチ棒”なんて言われたものです(笑)」

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