レッド・ツェッペリンの初来日ライブで観客が殴り合い、ジミー・ペイジの宿泊先に突撃取材…「ミュージック・ライフ」元編集長が語る“伝説のミュージシャン”

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殴り合いから始まる武道館コンサート

 レッド・ツェッペリンの初来日公演である。記者(50代)はツェッペリンをリアルタイムでは知らない。しかし、現在70歳を超えたリアル世代から、何度も同じ話を聞いたことがある。曰く、

「ツェッペリンの初来日の武道館コンサートで、周りの客と殴り合いのケンカをした」

「2階席の客が1階に飛び降りてきて、乱闘に加わっていた」

 せっかくチケットを入手してコンサートに来たというのに、他の客とケンカするなんて……。ずっと疑問に思っていたことを東郷さんに聞くと、

「そうですよ。70年代のロックコンサートは殴り合いから始まるの。あの頃はね、まだ主催者が警備員を雇うことなんかないから、大学の柔道部や空手部のお兄ちゃんがステージの前にずらっと並んでいるんです。彼らからすると、コンサートを見に来ている長髪のお兄ちゃんたちが押し合いへし合いするのはバカじゃないかという思いがあるんですね。客からすれば、目の前に立っているこいつらジャマだと思っている。最初から対抗意識があるんですよ」

 コンサートが始まる前から観客はステージに押し寄せ、それを制止しようとする体育会学生と乱闘となる。「どけ」「うるせえ」「このバカヤロウ!」。怒号が飛び交う中、それを上回る大音響でツェッペリンが登場する。

「ボーカルのロバート・プラント は完全に観客の味方。もっとやれ、もっとやれと客を煽るんです。あの頃は武道館のアリーナ席なんて最悪でしたよ。ツェッペリンは武勇伝も多いけど、急死したドラムのジョン・ボーナムは、それは凄い酒量でした。家族思いの寂しがり屋で、ツアーに出ると家族恋しさのあまり飲んでしまう側面もあるのだけど、まぁ、飲んだら大変でした。あと、コンサート終了後、ロバートとジョンが控室からなかなか出てこなくて。そのうち殴り合いのケンカになったんです。どうしたのと思ったら、ロバートが『今日のコンサートで、あの曲の入り、一拍遅れただろう』、『いや、そんなことはない』というガチのケンカなんですよ」

 彼らは「音楽的ミーティングだ」と言っていたそうだが、言い合ううちに手が出てしまう。そんな彼らもツアーで訪れた広島で原爆ドームと平和記念資料館を見学。

「人間はここまで残酷になれるのか」

 と展示に見入っていた。そして山田節男 市長(当時)を通じて原爆の被災者に、コンサートの売上金から700万円を寄付している。

「彼らも根は純粋なんですね。この人たちも捨てたもんじゃないなと思いました」

気分の浮き沈みが激しいジミー・ペイジ

 1972年にはディープ・パープル、73年にはデヴィッド・ボウイとサンタナ、74年にはエリック・クラプトンなど、大物ミュージシャンが次々と来日を果たす。日本の音楽マスコミに対する彼らの考え方、接し方はどのようなものだったのだろうか。

「当時、世界のレコード会社やマネジメントたちが日本は大きなマーケットになると思ったからこそ、相次いで来日公演が実現したのだと思います。ですが、当のミュージシャンたちにとって日本は極東の見たこともない国で、おとぎの国というのか、本当に遊びに来ている感じでした。だから私たちに協力するとかサービスするなんて考えはまったくない。写真は撮らせてくれますけどね。ツェッペリンもパープルも、記者会見はやったけど個別のインタビューには一切応じない、そんな感じです」

 確かに「ミュージック・ライフ大全」には、同誌に掲載されたスターの貴重なオフショットが満載だ。そして、インタビューなど読み応えのある当時の記事もたくさん載っている。取材拒否だから……では編集者は務まらない。少しでも読者が喜ぶ記事や付録を載せようと、あの手この手でアイデアを考えは取材したのだという。そして「ミュージック・ライフ」恒例の年間人気投票で、ツェッペリンがナンバー1バンドになった時のこと。

「メンバーそれぞれに1位の盾を渡して写真を撮り、4人で1枚のポスターにして付録にしようと。ギターのジミー・ペイジ を除く3人は写真も撮れて1位になったことを喜んでくれたのですが、ジミーはコンサート終了後にホテルを訪ねたものの部屋から一歩も出てこないんです」

 困り果ててプロモーターに相談すると、

「部屋の番号を教えるから、あとは自分で交渉して」

 というツレない返事。

「長く現場で相棒だった長谷部宏カメラマンと2人で、ジミーの部屋を直撃しました。コン、コン、コンとノックすると、ドアがバーンと乱暴に開いて、ものすごく怒った顔のジミーが目の前に。慌ててたどたどしい英語で説明したんですが、無言でバーンと乱暴にドアを閉められて。うるさい、オレはそういうサービス(取材など)はしないんだ、ということなんでしょうね」

 しょんぼりする東郷さんに、長谷部カメラマンが「ここで諦めちゃダメだぞ。3人のポスターじゃ読者も喜ばない」。そこでロビーで待ち続け、ジミーが降りてきたところで再交渉、今度はどういうわけか機嫌が良く、見事、撮影となった。

「嫌だなーと思っても、やらないと次の号は出ませんからね。白紙で雑誌を出すわけにはいかないし。それを考えたら現場でクヨクヨしている暇なんてありませんでした。とにかく夢中だった、というのが正しいのかな」

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