情報番組のディレクターが「いじめ」の映画を撮る理由 「“あってはならない”ではなく、“あって当たり前”と考えてほしい」

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「なくそうとしないでほしい」

 主人公を生徒ではなく、あえて先生にしたのには理由がある。

「私は様々な学校の“学級会”を撮影する番組も担当してきました。その経験から言わせてもらうと、生徒にとって担任の先生の影響は非常に大きい。学級会を撮影するだけでも、クラスの雰囲気が大きく異なるのはよく分かります。自然と活発な議論が交わされるクラスもあれば、先生が促すまで誰も発言しないクラスや、事前に準備したセリフを発表しているように思えるクラスもありました。当然ながら、思春期の子どもたちを大勢抱える先生の負担は大きいし、できるだけトラブルを抱えたくないという気持ちも理解できます。ただ、子どもたちを預かる先生にだけは、いじめを“なかったこと”にしてほしくない」

 つまり、「“あってはならない”ではなく、“あって当たり前”」(浜川さん)というスタンスが大事ということだ。

「さらに言わせてもらえば、いじめを“なくそうとしないでほしい”。公立の小中学校は、同い年というだけで、たまたま近所で生まれた子どもたちがひとつのクラスに集められます。たとえ大人であっても、家庭環境や趣味嗜好が異なる人たちと日常生活の大半を一緒に過ごすのはストレスが溜まるはず。それなのに“クラスのみんなと仲良くしましょう”と言うだけでは、子どもは逃げ場をなくしてしまいます。大人のようにうまくやり過ごすことができない子どもたちの間では、意見が食い違ったり、トラブルが起きたり、最悪の場合、いじめへと発展することも当たり前だと思うんです。それを無理に“なくそう”とすれば、いじめの隠蔽にも繋がりかねません。先生には現実としっかり向き合ってほしい」

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