「自動車にかわる生産物」が作れない日本 40年以上前の懸念が現実に(古市憲寿)

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「ポツンと一軒家」というテレビ番組が成立するくらい、僻地にも家はある。山奥とまでいかなくても、列島中に家は点在している。日本における住宅地の面積は1975年に79万ヘクタールだったが、2020年には120万ヘクタールまで増加した。

 この住宅地の拡大は自動車の普及なしにはあり得なかった。今でこそ「車離れ」が叫ばれる時代だが、戦後日本で自動車がもたらした変化は計り知れない。

 たとえば文明レベルが同程度で、自動車だけがなかった世界を考えてみよう。ほとんどの人は大都市と鉄道沿線に住むことになる。駅から遠い郊外に家を建てるのは、余程の物好きだけだろう。ましてや「ポツンと一軒家」では文化的な生活はあきらめざるを得ない。買い物をするにも、友人と会うにも、仕事へ行くにも、とにかく時間がかかる。自動車があるから郊外が拡大し、巨大ショッピングモールが繁栄したのだ。

 自動車は戦後日本の主力輸出品でもある。輸出総額に占める割合でも1970年代には鉄鋼を超えている。2021年の輸出金額は14.7兆円で、日本の輸出総額の2割弱に当たる。

 1978年に出版された『学問の世界』の中で、経済学者の中山伊知郎が「自動車にかわり得るような生産物をつくらなくちゃいかん」と指摘していた。自動車は雇用を生み出し、輸出が好調なら景気もよくなる。だが日本が長期的な経済発展を遂げるには、自動車にかわる生産物が必要だというのだ。具体的に何なのか?

 同書の中で明確な答えは示されていない。実は聞き手の一人がSF作家の小松左京だったのだが、大した案は言えず仕舞いだった。中山本人が自信なさそうに「エレクトロニクス」に言及しているだけだ。

 歴史の後知恵でいえば、半導体やIT関連産業が答えだろうか。半導体は安全保障上、ますますその価値が高まっている。もし日本からアップルやマイクロソフトのような企業が生まれていれば、国のイメージも随分と違ったはずだ。

 だが両者は、輸出金額としては自動車に及ばなかったし、雇用も生み出さなかっただろう。自動車産業は、数多くの部品や素材を必要とするため裾野産業も広く、雇用創出力が高い。日本が半世紀以上、自動車を基幹産業にしてきた理由もわかる。それに比べるとIT産業はあまり労働者を必要としない。自動車を増産するためには新しい人を雇う必要があるが、アプリならば販売数が増えてもコピーすれば済んでしまう。

 中山たちの議論はこう続いていた。「自動車にかわるものができないんなら、自動車そのものを、いまの段階から一歩先へ進めることがたいせつになる」。これも後知恵になるが、電気自動車や自動運転だろうか。

 結局、日本は「自動車にかわり得るような生産物」どころか「一歩先」の自動車競争にも出遅れている。ちなみに中山伊知郎は明治31年生まれで上の発言時点で80歳目前だった。明治生まれの懸念が現実になろうとしている。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2023年6月29日号掲載

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