昔の女性の「生理」の対処方法が衝撃的! 女性たちの悩みを医学書から読み解く

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「むかしの女性たちは月経痛がなく、今よりもうんと快適に月経期間を過ごしていた」という話を聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 果たして、本当のところはどうなのか。月経にまつわる風習が紹介された書物や医書などを手がかりに、江戸期を生きた女性たちの月経について調べてみると、驚きの事実が見えてきました。

江戸時代の生理用品

 江戸期に使用されていた当て物は、粗末な再生紙や布でつくられた使い捨てのものでした。そのため現代の出版物では、江戸期の書物の記述を引用し、素材や形状を説明するにとどめ、当時の生理用品の図説がほぼありません。

 生理用品を身につけた女性の図は『笑翔(しょうしょう)/色物馬鹿本草(しょくもつばかほんぞう)』を含め、3点ほど見つかっています。どれも局部の割れ目を覆うだけの幅の狭い形状です。恋川笑山の『実娯教絵抄(じつごきょうえしょう)』(慶応年間〈1865~1868年〉)を見ると、紙を縦に八つ折りにし、細長くなったその上にまた1~2枚、紙を巻き付けて補強します。端に紙縒(こより)を通し、紐パンツのように腰で結んで固定します。ただ、現代のナプキンのような経血が漏れない安心サイズではもちろんありません。このような当て物だけで本当に腰巻や着物を汚さなかったのでしょうか。

江戸時代の月経の諸症状

 江戸期には月経に関して、どのような症状があると考えられていたのでしょうか。

 嘉永3年(1850年)に刊行された『婦人病論』を見てみると、「月経早至(14歳未満で初潮がくる)」「月経晩至(20歳くらいを過ぎてから初潮がくる)」「経閉」「月経過漏(経血過多で衰弱する)」「月経夾痛」などがあります。

「月経夾痛」については「月経来ル毎ニ、必疼痛ヲ夾発スル者是ナリ」、つまり、婦人が月経期間に必ず腹や腰に痛みを発するとあり、月経痛が現代人特有の症状ではなかったことが分かります。月経が来ると腰の辺りに痛みを感じ、熱が出たり、呼吸が荒くなったり悪臭を発するともあり、「清涼通経」という内服薬が紹介されています。

 実際に当時、どれほどの女性が月経痛を感じていたか分かりませんが、国会図書館の古典籍資料室所蔵の『青洲花岡先生禁方録』には、月経の痛みがある際の処方薬などが記載されており、月経に伴う症状で医者にかかる女性は存在したと思われます。

 以前、岩手県の一関市博物館で開催された「江戸時代の女性たち―武家・農民・商人―」(2022年4月29日~6月26日開催)を見に行った際、「血のくすり」と書かれた江戸時代の婦人薬の包みが目に入りました。袋についている説明書には「ふり出し ちのくすり 婦人薬王湯 麻袋入」と書かれています。薬の入った麻袋を煮出すティーバッグ式の薬なのでしょう。産前産後の諸症状を緩和し、難産を避け、経水(月経)の症状にも有効とあります。また、男女ともにりん病や風邪にも有効であり、その他にも効用多数とのことで、もはや何にでも効く(笑)。常備薬にもってこいです。「越中高岡長寿軒製」と書かれており、日本全国を巡っていた富山の薬売りが、婦人病の薬も扱っていたことが分かります。

なんでもかんでも「血」のせい

 江戸時代、婦人病は「血の道」と総称されていました。医者のなかには「女性が不調を訴える=血の道」と判断し、とりあえずそれに有効とされた薬を処方してしまう者もいたようです。

 例えば、松江城下の石橋町で診療にあたった医者の船越敬祐(たかすけ)が著した『黴瘡茶談(ばいそうさだん)』(天保14年〈1843年〉)には、医者たちが黴毒(梅毒)の女性に血の道の処方薬を出し続けていたことが次のように記されています。

 〈 大坂の木挽南之町に住むふしみや清八は黴毒に苦しみ敬祐に治療を求めたところ、幸い薬の効果により段々と快復へ向かいます。一方、清八とその妻はともに長く頭痛に悩んでおり、妻も他の医者にかかって薬を処方してもらっていましたが、一向に良くなりません。
妻が敬祐に「血風(ちのみち)とは、難儀なものでござる」と話すと、敬祐は笑いながら「あなたの夫は長く黴毒に苦しんでいます。この病が夫婦の間で感染しないということは、ありません。あなたも黴毒に感染しているでしょう。ですから、血の道の薬が効くわけがありません。夫と同じ薬を飲みなさい」と伝えました。しかし妻は薬の処方を断ります。

 翌日、敬祐は清八に「なぜあなたの妻は黴毒の薬を飲まないのか」と問うと、妻は数人の医者にかかり、どの医者にも血の道が原因だと言われた、敬祐だけが黴毒が原因だと言ったので信用しなかったとのこと。そして清八までもが親族に「あんな安っぽい薬で病気がよくなるはずがない」と敬祐が処方した薬を飲むのを止めさせられます。

 夫婦は頭痛がなくなったものの、妻の体中に黴毒の症状が出てきました。彼女は敬祐の診察を受け、処方してもらった薬を飲んだところ効果を感じたため、敬祐の言ったことを信じ、夫婦で治療を受けるようになりました。しかし、薬を飲まなかった間に夫の黴毒は悪化しており、すでに寝返りも困難なほど痩せ衰えていたのです。〉

 江戸期の医者は触診をせず、患者の訴える症状を聞くだけのこともあったようで、黴毒による頭痛さえも月経や産前産後の不調による頭痛と同じものとみなし、血の道の薬を処方することが多かったのでしょう。

デイリー新潮編集部

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