「小沢一郎」が語る“細川連立政権”秘話 「自民党を否定しているんじゃない。一度、地に落ちて引き締め直せばいいんだ」

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 永田町で一時「解散」の機運が高まったものの、岸田文雄総理は6月15日に“先送り”を明言した。だが、いま実際に解散総選挙が行われたとして、どれほどの国民が「政権交代」という言葉を頭に思い浮かべるだろう。1993年6月に自民党を離党して新生党を立ち上げ、8党派連立政権の立役者となった小沢一郎衆院議員は、いま何を思うのか。ジャーナリスト・鈴木哲夫氏がその胸中に迫った。前後編のうち「後編」。

連立政権は「ガラス細工」

――小沢さんが飛び出して、そして、新生党を作って政権交代を果たすまでの道のりのなかで、どんな苦労があったか。

小沢:あの時は、もう飛び出してまっすぐ全力で突撃だからね。新生党で選挙。それで、実は、幹事長を辞めたあと心筋梗塞やったんだよね。何とか治ったんだけど、あんまり過労が重なるとまずいんで、自分の事務所の床に布団を敷いて、一日に1、2時間は横になっていた。みんな知らないけどね。それで休んじゃ、また選挙。

――選挙のあと自民党を過半数割れに追い込み、野党の連立8会派で政権交代へ。それもまた大変だったのでは。

小沢:そうそう。ほんとガラス細工だからね。ガラスの積み木みたいなもんだから。選挙終わってすぐ社会党がもうがっくり来ちゃってたんだよ。社会党は激減した。70ぐらい減らしたかな。これでもう連立政権はダメだってなっちゃったわけだ。でも、委員長の山花貞夫さんと連合の山岸章さんとも話をして、「何言ってんだ。全部足してみろ。野党の方が多いじゃないか。私がまとめる」って言って、了解取って。そのあと、一番の直感は間違いなかった。総理は日本新党の細川護熙。みんなは羽田だって言うんだよ。でも、私は羽田じゃまとまらないと思って自分に任せてくれって言って。

――直感?

小沢:直感って言ったって、根拠のない直感じゃないよ。根拠はね、細川さんはさきがけの武村正義さんと仲がいいわけだよ。で、武村さんは自民党と連立を組みたいという話があって、自民党も過半数ないから数の上からいっても組みたいと思うはず。だから、先手を打って細川さんに会って「総理に」と単刀直入に言ったら、分かりましたと。実は、自民党も日本新党やさきがけとの連立を考えていたらしく、細川さんに接触しようとしたんだけど、すでにとき遅しだった。その後、細川さんが武村さんと会って、「連立政権側の総理に決めた」と言ったら、武村さんはもうびっくりしたらしい。自民党とやりたかったから。だけど、細川さんが決めた以上しょうがないという感じでついてきた。それで野党8会派で過半数になった。

――細川さんもよく決断しましたね。

小沢:自民党との連立なら、せいぜい大臣。でも、こっちは総理大臣だもの。絶対受けると思ってた。

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