【秋田・女性遺棄】マザー・テレサに憧れ平和活動をしていた女が「ヤクザの夫」のためにスコップを握るまで…父親は「頭がぐちゃぐちゃです」

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短大卒業後、マザーテレサに憧れ長崎に

 土岐容疑者は、祖父母、両親、弟、妹の大家族の中で生まれ育った。1999年に建てられた実家は床面積が約230平米もある立派な二世帯住宅である。

「市の職員をしていたお爺ちゃんが、十数年前、ここに越してきた時に建てました。お爺ちゃんは20年くらい前に他界し、お母さんも7、8年前に若くして先立った。お婆ちゃんは今病院暮らしで、子供たちもみな埼玉のあたりに住んでおり、いまはお父さんの一人住まいです。お父さんは自動車修理の会社を定年まで勤め上げ、いまもアルバイトを続けている。この間も、ゴールデンウィークに子供たちは帰ってくるのと聞いたら、『来ないんです』と肩を落としていました」(前出・実家近くの住民)

 長女として妹弟をよく可愛がっていたという。

「お父さんは『長女がいつも二人の面倒を見てくれているんだ』っていつも誇らしげでした。実際、気さくないい子。いまどきの子は年寄りと道で会ったって、自分から声をかけてきやしないでしょ。でも、彼女は『おばちゃん!』って自分から飛んでくるような子だった」(別の近隣住民)

 高校卒業後、秋田県内の短大で管理栄養士の資格を取得。23歳で長崎県五島市の診療所に就職した。なぜ、1000キロも離れた遠い九州の地に越したのか。その理由は、12年8月8日の朝日新聞長崎県版に載っていた。タイトルは〈被爆体験記朗読ボランティア受講生 土岐菜夏さん=秋田県出身=/痛み理解 試み続ける/東日本大震災「平和幻想はがれ落ちた」〉。

〈土岐さんは4月、長崎市に引っ越してきた。大学で発展途上国の飢餓問題を知り、「亡くなる子を放ったまま栄養士になっていいの」と思った。「戦争が飢餓を生む。そうだ、平和だ。広島、長崎だ」。秋田と同じ日本海側に近いと、長崎の診療所に就職した。被爆体験記の朗読ボランティア講座に通い始めた〉

 土岐容疑者は移り住んだばかりの長崎で、平和ボランティアの“卵”として度々メディアに取り上げられていたのである。別の朝日の記事でも、〈秋田市出身で大学時代にマザー・テレサの本を読み、平和に目覚めて長崎に来た〉と紹介されている。

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