「まずは塩で」ブームから陳腐なフレーズへ 江戸っ子の家生まれのライター・古賀及子が語る裕福な祖母との思い出

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“高級な場所だ”と子どもながらに感心

 ウェブメディア「デイリーポータルZ」の編集部員で、『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』の著者の古賀及子さん。江戸っ子の家に生まれながら、都心を離れて暮らした彼女が、幼い頃に目に焼き付けた「東京」の風景とは。

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 母方の実家が港区の赤坂で、祖父母はどちらも4代続く江戸っ子をうたって粋がる愛しいひとたちだった。反動で母が郊外に憧れたものだから、私は東京で生まれこそはするも早いうちから都心を離れ育った。よく盆暮を母の帰省に連れられ赤坂で過ごし、クラスメートから「田舎のおばあちゃんの家に行く」と聞くたび、うちの田舎は都会だなと、地方へ帰る典型的な帰省とくらべて人ごとのように珍しがっていた。

 祖父母は二人で魚の卸業を営んでいた。お得意の料亭をあちこちにかかえ、飛び回るように働いたから私が子どもだった90年代前半まではずいぶん儲けたようだ。

 当時は祖母に子守がてら買い物や食事に連れて行ってもらうことがよくあった。祖母は日本橋高島屋のファンで、私に文具や本をあれこれ選ばせると自分はフェラガモで靴やスカーフを買い、それから8Fの特別食堂に行く。祖母は野田岩のうな重を、私はハンバーグとコーンポタージュスープを頼んだ。思えばあれは帝国ホテルの品である。ウエーターやウエートレスが注文を取りにきてメモを取らずに覚えて戻っていくのに、これは高級な場所だからだと子どもの頭で感心した。

チェーンの居酒屋でも「塩でお召し上がりください」

 祖母は麻布も好きだった。高校に上がったくらいの頃、麻布十番の小さな天ぷら屋に連れて行ってもらったことがある。なじみのようすで、魚屋のお得意のうちの一軒だったのだろう。

 カウンターに祖母と並んで腰かけて、おまかせであれこれ揚げてもらっておいしく食べた。そのうち、白身の魚だったか季節の野菜だったか「まずは塩で召し上がってみてください」と、天つゆの横に小皿に小さく盛った塩が出てきたのだった。

(天ぷらを塩で食べるのか、珍しいなあ)

 そんな食べ方ははじめて聞いた。隣の祖母が得意なようすで「食べてごらん、うまいんだから」と言う。食べてみる。なるほど、つゆで食べるより素材と油の味がきわ立ちおいしい。

 グルメには疎いが、その後「塩で召し上がる」ブームらしきものが世におとずれたのはなんとなく肌で感じた。チェーンの居酒屋で桶を肩に担いだ店員に豆腐をすすめられながら「こちらいま引き上げたばかりのおぼろ豆腐です、まずは塩でお召し上がりください」と言われ、天ぷら屋でのフレーズとの再会に驚いた。

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