まき割り用のおのでメッタ打ちにされた「片岡仁左衛門」一家… 血塗られた「梨園の暗黒事件史」

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 出雲阿国が京都・四条河原の仮設舞台で披露した“かぶき踊り”に、民衆が大喝采を送ってから400年余り。絢爛豪華な芝居で観客を魅了してきた歌舞伎の世界だが、一方で、その歴史は名優たちが流した血にまみれてきたともいえる。

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 市川團十郎といえば、最も有名な名跡である。歌舞伎における“荒事芸”を完成させた功績で名高い初代團十郎は、元禄歌舞伎を代表する役者だが、1704年、45歳のときに悲劇が起きる。

「公演中に大見得を切っていたところ、舞台に上がった役者に突然脇腹を刺され、殺されてしまいました。息子が團十郎に虐待された恨みによる殺しだという説もありますが、動機は分からずじまいです」(演芸ジャーナリスト)

 天保年間から幕末にかけて梨園をけん引した八代目團十郎は、1854年、ショッキングな最期を遂げた。

「美貌で知られた八代目は、“痰”が売買されるほどの人気者。父の借金返済のため、江戸を離れ大坂で芝居をすることになったのですが、公演初日に投宿先で喉を突いて自殺しました。勢力争いが苛烈だった江戸と上方、双方の興行主の板挟みにあったのを苦にしたという見立てがあります」(同)

 享年32。訃報と追善を兼ねた浮世絵“死絵”が300種も出回ったというから、死後まで型破りであった。

海老蔵が演じた“大立廻り”

 そして十三代目、つまり当代の團十郎(45)が海老蔵だった2010年に演じた“大立廻り”は、現代にも“かぶきもの”の伝統が脈々と受け継がれていることをいや応なく思い知らせた。

「西麻布のバーで居合わせた客とトラブルになり、客の知人から暴行を受けたあの一件。左頬の陥没骨折、前歯の損傷、そして顔全体が腫れるほどの大ケガを負いましたが、海老蔵自身が灰皿についだテキーラを客に飲ませようとしたなどの証言もあり、梨園には衝撃が走りました」(社会部記者)

 まさに荒事は成田屋のお家芸なのである。

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