自分の好きなところに出かけて生涯終われるんだったら、末は野垂れ死んでも…証言で振り返る「渥美清」の生き方

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 日本で唯一「大衆文化担当記者」の肩書を持つ朝日新聞編集委員・小泉信一さん の連載が始まります。著作も多い「寅さん」にはじまり、酒場にキャバレー、演歌・昭和歌謡、旅芝居、さらには戦後ストリップ史に怪異伝承……取材対象の広さから、いくつもの名記事を送り出してきた小泉さんですが、自身の入院を機に改めて「死」について考え、思いを巡らせました。これまで取材で取り上げた様々な人物たちの「人生の幕引き」をテーマに、死を迎える諦念、無常観を描くと同時に、「人間の幸せとは」「どのような最期が幸せなのか」を考えたい、という思いを込めた連載です。第1回は、国民的映画「男はつらいよ」で知られる俳優の渥美清――。

「渥美ヤンは天才だよ」

 チューブでつながれたままベッドの上で寝たきりになっている人。排泄物も自分で処理できず、看護師に毎回お世話になっている人。

 病院に入院しているとさまざまな人に出会う。

 この春、私も持病の腎臓病が悪化し、ついに腎不全と診断。体内の老廃物を除去できない体になってしまい、人工透析を受けるため緊急入院。手術をした。入院生活は1カ月だったが、幸いにも脳や手足に不自由はなく、車椅子にも座らなかった。

 だが、深夜病室でハッと目が覚めたとき、ふとこんなことを考えてしまった。

「人間はどこで死ぬのが幸せなんだろう」

「最善の最期って何だろう」

「死ぬなら自宅でポックリが最高だけど、無理だなあ」

 病院に入院したとしても、延命のためのチューブにつながれたような「医学的治療によって生かされている」のは、果たして幸せなのか。家族に見守られつつ静かに旅立つのが人生の最高の幕の引き方ではないか。

 なかなか寝付けなかったある晩、病院の近くにある新宿高層ビル群の夜景を見ていたら、四角い顔のある男が浮かんできた。否。浮かぶというより脳裏に雷鳴が鳴り響くがごとく、「お前はこの男のことを書くのが宿命だ」と天から告げられているような感じだったといえる。

 ご存じ、映画「男はつらいよ」シリーズで主人公の車寅次郎を26年間演じ続けた俳優・渥美清さん(1928~1996)である。

 と言っても、私と渥美さんとは直接の面識はない。きっかけは20年以上前。私が朝日新聞東京本社の社会部で下町の支局長をしていたときだった。

 東京の東端、小岩という街でコメディアンの関敬六さん(1928~2006)が開いていたスナックが閉店するという記事を書いたことがきっかけだ。最初のインタビューから関さんとは意気投合。その次に会ったときは、関さん宅を訪ねるほど親しくなった。

 関さんは必ず親友の渥美さんの話をしてくれた。アナーキーだった駆け出し時代の話や、ほろりと涙するような話もしてくれた。関さんがなぜそんなに私に対して懸命に渥美さんの話をしてくれたのか真意は分からない。だが、関さんの話を聞いていると、目の前に渥美さんがよみがえってくるようだった。

 関さんの言葉はいつもこう結ばれた。

「渥美ヤンは天才だよ」

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