「働かない社員」がいた方が企業は存続する? 数理物理学者が提言「社会には無駄な3割が必要」

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コロナ禍で「隙間」が

 それでは、ポスト・コロナ時代の企業・組織は無駄とどう向き合えばいいのでしょうか。

 コロナ禍では、壮大な社会実験が行われたともいえます。3密を回避するために、強制的にソーシャルディスタンスをとることが求められました。電車でも1席分空けて座ったり、飲み会や仕事そのものが減って時間的にも“空き”が生まれた。それまでは新自由主義的な考えに基づき、とにかく儲けられるだけ儲けようと、空間的にも時間的にも詰め込むだけ詰め込むことが良しとされる傾向が強い社会であったのに対し、好むと好まざるとにかかわらず“隙間”を作ることを強いられたわけです。

 では、この隙間は無駄だったのか。文字通り隙間が生まれ、おしくらまんじゅうをしなくて済む電車がどれほど快適だったか。次々と会議や飲み会がなくなり、スカスカになったスケジュール帳を見てどんなに清々しい気持ちがしたか。残業がなくなり、空き時間ができて家族と過ごしたり、ひとりでゆっくりと考えたりする時間が生まれ、以前よりアイデアが湧いてきたという人もいたはずです。そう考えると、新型ウイルスに強いられた隙間作りは決して無駄ではなかったといえます。

3割が遊ぶように進化したアリ

 そしてこの経験を奇貨とし、これからの企業や組織には「3割の無駄」が求められると私は考えています。なぜなら、空間的にも時間的にも、詰め込み過ぎは脆(もろ)さと表裏一体だからです。

 例えばアリの群れは、約3割が真面目にエサを運ばずにあらぬ方向に進んで“遊んで”います。1億年以上のアリの歴史の中で、それが集団として最も生き残りやすいと学んだからです。

 全員が真面目にエサを運ぶ群れは「平時」には強い。しかし、そのエサ場が枯渇してしまった時は生き延びられない。一方、3割が遊んでいた群れでは、そのアリが偶然、別のエサ場を見つけて生き延びることができた。そうした経験を繰り返し、自然と3割が遊ぶようにアリは進化したと考えています。

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