40年前の開業当日、「東京ディズニーランド」へ行った記者の証言 週刊誌の予想はことごとく外れた

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まるっきり進駐軍じゃないか!

《オジサンは怒っているノダ。何だ、ありゃ、まるっきり進駐軍じゃないか。どっちを向いても英語ばかりで、ションベンも気ままに出来やしない》

 この少々下品な文章は、何を隠そう、いまから40年前の「週刊新潮」に掲載された、ある記事のリード文である。タイトルは、《「持込み厳禁」ディズニーランドで「夢の飲食」の内幕》(1983年5月5日号)。そう、東京ディズニーランド開業をめぐるレポート記事なのである。

「いや~40年前は、こんなことを平気で書いてたんだねえ」

 当時のバックナンバーをめくりながら、薄くなった頭をかくのは、「週刊新潮」元編集部員、森重良太さん(64歳)である。

 リード文は、こう続く。

《おまけに、食い物にまで口出しして来やがって、ニギリメシもヤキソバも駄目だっていうんだ。日本人の伝統的スナックをだよ。おせっかいな話じゃないか。この正義漢ヅラした押付けがましさは、まさに占領軍だよ》

「当時、私は24歳、入社2年目の新米記者でした」

 実は森重さんは、この取材チームの一員だったのだ。

「今では信じられないでしょうが、当時、東京ディズニーランド(TDL)が成功すると思っていた人は少なかったんです」

 その理由は、いくつかあったそうで。

「まず、TDLの土地は浦安沖の埋め立て地なんですが、昔から黒い噂がたえず、いいイメージがなかったことがあります。1960年代から千葉県が事業主体となって埋め立てがはじまり、約100万坪もの土地が誕生しました。これがのちにTDLを運営するオリエンタルランドに売却されるのですが、当初の協定に違反して転売されたとか、土地の錬金術だとかいわれ、そんなオドロオドロした埋め立て地に誰が行くか――というわけです」

 さらに、“テーマパーク”というコンセプトも日本人には無理だと考えられていた。

「編集会議で、遊園地は豊島園や後楽園が理想だと、デスクが口にしていたのを覚えています。ジェットコースターに観覧車に食堂や屋台。要するに幕の内弁当のようなところでなければ日本人は楽しめない。いくらミッキーマウスが有名でも、人間が被り物で扮して歩いているなんて、気持ち悪いじゃないか――と」

 かくして、TDLは失敗するとの前提による予備取材が続いた。

「そのうち、ある記者が、“TDLは弁当持込み禁止らしい”との情報を仕入れてきたんです。このときの会議は盛り上がりました。“ソバ、ラーメン系の和食も生ビールもないようだ”。このTDL独特の飲食ルールこそ、週刊新潮の格好の興味の的になったのです。開園をめぐる記事は、一種の飲食レポートでいくことになりました」

 いったい、どんな記事になったのか。

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