妻とだけは“できない”夫が語った「お母さん」との原体験 「女って怖いという友人の言葉を思い出した」

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「体育会系」になじめない末っ子

 隆介さんは首都圏某市に3人兄弟の末っ子として生まれた。父の影響で兄ふたりは幼いころから空手を習っていたが、隆介さんは隣家の女の子が習っていたピアノの音に惹かれ、「空手はいやだ」と反発、小学校に入ってからピアノを習い始めた。

「父からは、おまえは男じゃないなどと言われましたが、母は『男も女も関係ない。好きなことをやりなさい』と言ってくれた。それが救いでしたが、父にはずっと疎まれながら大きくなりました」

 スポーツが嫌いなわけではなかった。武道のもつ堅さや体育会系の上下関係になじめなかったのだ。中学でも高校でも、本当はバスケットボールをやりたかったが、部活に足を踏み込むことはできなかった。

「ただ、地元の友だちと広場でサッカーをしたりバスケをしたりはしました。父や兄たちに見つからないようにしてましたけどね(笑)」

 大学は東京へ。家から通えるだろうと言われたが、早く家から出たかったので、都内の親戚の家に下宿した。

「早く女の子とつきあいたかったから、親の目の届かないところへ行きたかったんです(笑)。男兄弟だし、高校は男子校だったので、女性に対する理想と希望が妄想の中でふくらむ一方だった。姉と妹に挟まれていた友人は『女は怖いよ』とよく言っていたけど、女の子が怖いはずはない、あんなにかわいいのにと思っていました」

 大学に入ると「チャラいサークル」に入った。友人とバスケをしたり、夏は海に行ったり。ただ一方で、まじめに家庭教師のアルバイトもしていた。家庭教師はなぜか自分に合っていたと彼は言う。末っ子だからどこか兄の顔色をうかがうところがあったが、家庭教師は「お兄ちゃん」役割もできるので楽しかったそうだ。

「大学1年のときに中学3年生の男の子を教えたんですよ。その子はもともとできがよかっただけだと思うけど、超難関高校に受かってしまった。そうしたらその隣の家からオファーがきて。一時期は家庭教師のアルバイトでスケジュールが埋まっていたこともありました」

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