国民をサル呼ばわりしているのと同じ? 立民「小西議員」の謝罪はダメの連続 危機管理コンサルタントが問題点を指摘

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おわびで沈静化とならず

 立憲民主党の小西洋之参議院議員の「頭の下げ方」が国会で問題になっている。

 ここまでの流れをざっと振り返ると、次の通りである。

 高市早苗経済安全保障大臣と総務省文書を巡って対立していた小西氏が、3月29日、衆議院憲法審査会について、「毎週開催はサルがやることで蛮族の行為だ」と記者団に対して発言。小西氏はオフレコの場であり、なおかつその場で発言を撤回したと主張しているものの、発言が報じられたことで、同僚議員らからは猛反発を受けることになった。

 所属する立憲民主党側もこの発言を問題視し、小西氏を参議院憲法審査会の筆頭幹事から更迭、さらに幹事長注意という(最も軽い)処分を科した。

 処分を受けた小西氏自身の最新の公式のコメントは以下の通りである。

「本日の党幹事長からの注意措置を重く受け止め、深い反省の基に努めて参ります。

 衆議院の憲法審査会の毎週開催に関する「憲法のことなんか考えないサルがやること」、「蛮族の行為」などの失礼かつ不適切な発言について、改めて、衆院憲法審査会の先生方を始めとする皆様に深くお詫びを申し上げます。」(4月11日のツイート)

 ただ、処分や「おわび」コメントによって事態の沈静化に成功したかといえば、そうとはいかないようだ。

 日本維新の会などは衆議院憲法審査会の場で、小西氏が謝罪することを求めていたが、立憲民主党側はこれを拒否。

 立憲民主党の杉尾秀哉参議院議員は、記者団に「なんで維新の人にそう(衆議院での謝罪のことを)言われなければいけないのか。ちょっと分からない」と語ったと伝えられている。

 別に謝りたくないのではなく、個別に各会派におわび行脚をすればいいじゃないか、というのが杉尾氏、あるいは立憲民主党の現時点での認識のようだ。また、杉尾氏は「サル発言」そのものが憲法審査会の外でのものだったことも、国会内での謝罪が不要な理由だと述べている。

 こうした対応は、一部の支持者以外からは理解を得られていないようで、このニュースに寄せられたネット上のコメントは、小西議員や杉尾議員、あるいは立憲民主党に対して批判的なものが圧倒的に多い。

 これまで、あらゆる場面で他人の「失言」「問題発言」を取り上げて糾弾してきた同党だけに、巨大なブーメランが返ってきているのが現状だ。

 4月11日には「おわび行脚」の一環として、小西氏が日本維新の会の馬場伸幸代表の事務所を訪れた。しかしその「おわび」が、自身のツイッターの文面をプリントした紙を渡すという非常識なものだったために、さらに相手方の怒りを買うという状況になっている。たしかに謝罪にツイッターのプリントをそのまま渡すというのは、新入社員でもあまりやらない手法で、馬場代表が怒るのも無理はないだろう。

間違いだらけの対応

 一連の小西議員、立憲民主党の対応は間違いばかりだ、と指摘するのは危機管理コンサルタントの田中優介氏(株式会社リスク・ヘッジ代表取締役社長)である。これまでの経緯を振り返ったうえで、解説してもらおう。

「まず、そもそもの発言をした直後の対応が間違いです。ご本人は、差別的な物言いだからすぐに撤回した、オフレコの発言だなどと主張しているようですが、少なくとも記者たちにはそのような認識はなかった。本当に撤回したいと考えたのなら、その場できちんと明確に撤回の意思を示さなければいけなかったでしょう。『すみません、つい口がすべりましたが、本意ではないので、撤回しておわびします。この発言は無かったことにしてください』と。それで記者が納得したかどうかはわかりませんが」

 このあとの記者会見はさらに問題だという。3月30日に小西氏は会見をして謝罪を口にしたものの、マスコミ批判も飛び出すなど、通常の謝罪会見とはまったく様相を異にしていた。

「会見の目的をどこに設定していたのでしょうか。そもそも謝罪会見でなくても、取材に来る側と口論するなんて、よほどの場合です。

 弊社では、企業に対して、『記者の向こう側には国民がいる』ということを強調してお伝えしています。目の前にいる記者を憎らしく思うこともあるかもしれませんが、その向こうに多くの人がいることを忘れてはならないのです。

 また、『二つのトウソウ本能』が悪いほうに働いた時に、謝罪は失敗しがちです。『逃走本能』と『闘争本能』。前者は、耳の痛い言葉を言われたくない、とか体裁の悪い場面を避けたいと思って、逃げてしまいたくなる気持ち。後者は『面目を保ちたい』とか『弱い立場になりたくない』と思って、少しでも押し返す理屈を考えてしまう気持ち。

 自分も悪いが、報じたメディアも悪いとか、報じ方が不正確だなどと主張するのは、完全に『闘争本能』の影響でしょう」

「解毒」がまったくできていない

 田中氏は著書『その対応では会社が傾く―プロが教える危機管理教室―』の中で、危機管理は「感知」「解析」「解毒」「再生」の四つのステップを踏む必要があると説いている。危機を感知して、解析する。そのうえで犯した過ちの程度に合わせて謝罪するのが「解毒」。これが済んだうえでダメージの回復を狙って「再生」というステップに踏み出す。これがセオリーなのだという。

「解毒の段階、つまり謝罪にあたっては、それに徹する姿勢が必要です。

 ところが小西議員にせよ、杉尾議員や立憲民主党にせよ、謝罪が受け入れられたかどうかわからない段階で、自分たちの理屈を口にしています。すぐに撤回したはずだ、主旨が違う、問題の本質が違う、マスコミの伝え方が偏向している、正式な場の発言ではなかった等々。

 本来は、確実に解毒を行うには、『反省・後悔・懺悔(ざんげ)・贖罪』というステップを意識する必要があるのです。しかし、彼らの口から出てくるのは、後悔が感じられないきわめてテンプレートに近いおわびの言葉だけです。これでは解毒はできません」

おわびを誰にしているのか

 田中氏はさらに、小西氏らに抜けている視点があることを厳しく指摘する。

「一連の謝罪コメントを見ていると、おわびのメインの対象を、憲法審査会の関係者だとしているように受け取れます。泉代表は、『党としておわびする』と言っていますが、誰に、なのでしょう。杉尾議員は、各会派におわびしているからいい、と言っていますが、そうなるとおわびの相手は、同僚議員たちということになります。

 謝罪の際には、誰に対して迷惑をかけた、失礼なことを言った、ということを明確に意識する必要があります。では今回の場合はどうでしょうか。

 日本維新の会や自民党、公明党等々、他党の議員を『サル』呼ばわりした、だから彼らに謝ればいい、という考えでは、謝罪の対象を見誤っていると言わざるを得ません。

 その議員たちは、国民によって選ばれた代表者です。国民の代表を『サル』と言ったということは、国民を『サル』呼ばわりしたのと同然だ、ということを深く反省しなければいけないのです。そしてそのことを自ら口にすべきでした。

 大原則として、いかに相容れない主張をしている政党、議員であっても、その背後には彼らを支持している国民がいるのです。

 これは先ほどお話した、記者の後ろには国民がいるというのとよく似ています。

 その原則を意識すれば、日頃から他の議員に対して礼節を持って接するのが常識だということになるのではないでしょうか。

 立憲民主党の方々が自分の支持者以外には、失礼な態度を取ってもいいなどと考えていないことを願いますし、そのように受け止められないためにも、謝罪をするときには徹底的にすることをお勧めします」

デイリー新潮編集部

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