植田日銀総裁誕生の裏に“権力の興亡” 本命・雨宮副総裁が漏らしていた“本音”とは

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雨宮の真意

 財務省は日銀の所管官庁として総裁選びにも深く関与する。実は先のOBだけでなく、このころ日銀人事を準備する過程で雨宮と接触した現役官僚も同じ趣旨の話を聞かされていた。

 財務省の関係者たちには意外な感じがした。日銀総裁レースの大本命は雨宮だ。望んでもなれないそのポストは、1979年の入行以来日銀一筋で生きてきたこの男にとっても悲願のはず。「本当はやりたいと思っているが、最初は「自分には無理だ」などと言って一歩下がる常識的な対応」という見方も強かった。

 雨宮の言っていることは本心なのだろうか。それとも一種の目くらまし戦術なのか――。

 財務省は最後まで雨宮の真意を測りかねた。

 そもそも彼らは今回の人事をこう位置付けていた。

「うちの番ではない」

 この意味は歴代総裁の出自をたどればよくわかる。財務省が大蔵省だった時代から、日銀・財務の出身者が中央銀行トップの座をほぼ独占しており、両者が交代で就任するたすき掛け人事、いわゆる「交代ルール」が暗黙の了解だったのだ(掲載の表参照)。今回は財務省出身の黒田が2期10年務めた後で、「日銀の番」となるのが順当だった。

交代ルールを外れた人事

 それでも、この役所は早くから正副総裁についていくつかの組み合わせを想定していた。最有力とみられたのは雨宮を頂点とし、副総裁の一人に財務省関係者、もう一人を学者にする案だ。

 副総裁候補には財務官経験者ら何人かの名前が挙がった。しかし、ここで年次が問題になる。雨宮は79年の日銀入行。入省年次が同期もしくはそれよりも上の場合は対象から外された。そこで浮上してきたのが氷見野だった。金融庁長官を務めたが、もともとは83年の大蔵省入省だ。氷見野の副総裁就任は、財務省が「雨宮総裁」を予想していたことの裏返しだったわけだ。

 そして、もう一人の学者としては、雨宮より年齢が上の植田ではなく、日銀出身の東大教授である渡辺努などの名前が挙がっていた。

 しかし、結果的に総裁に選ばれたのは、交代ルールを外れるばかりか、21代宇佐美洵(まこと)以来、戦後2人目となる「民間」出身者の植田だった。

 関係者によると、雨宮から固辞の理由を聞かされていた首相の岸田文雄は、深く共鳴するところがあったようで、総裁の条件を問われた国会質疑で「主要国中央銀行トップとの緊密な連携、質の高い発信力、受信力が格段に重要になっている」と説明している。雨宮の主張にそっくりだ。

 そして、大本命の雨宮の辞意が固いとみた岸田官邸は、かねてから目をつけていた植田への傾斜を強めていく。最終的に正副総裁三人の人選が固まったのは年末から年始にかけてだったといわれる。

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