交際ゼロ日婚でいきなり妻の妊娠が発覚…真実を知って44歳夫がホッとした理由

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目撃した「父と母の異様な関係」

 受験準備まっただ中の小学校6年生の夏休み、彼は父と母の異様な関係を目にしてしまった。

「隣の大きな町の塾に通っていたんですが、その日は途中で気分が悪くなり、タクシーで早退したんです。家にはなぜか人がいなくて、僕が制裁を受ける和室から悲鳴のような、妙な音が聞こえていた。こっそり覗くと、父が半裸の母を柱に縛りつけて鞭打っていた。怖くてどうしようもないのに動けない。母は泣いていたけど、やめてとは言わない。泣いているのにうれしそうにも見えて、よくわからない気持ちになり、ますます気分が悪くなってそこで吐いてしまったんです。奥からお手伝いさんが出てきて運ばれました。あの光景は夢や妄想ではなかったと思う。もちろん、そういう記憶はすべて自分の心の奥に閉じ込めました」

 自ら東京の中学に進むと父に告げると、父は親戚の家から通うことを条件に了承してくれた。幸い、都内の私立名門に合格、13歳でようやく「家」から解放された。そこで家から離れなかったら、自分はもっとひねくれた性格になっていたに違いないと彼は言う。

「ただ、自分の中に複雑な葛藤があるんだなと本当に感じたのは、高校生になってからですね。なんだか情緒がないというか。男子校だったので、友人たちは他の女子校の文化祭に行ったりするナンパなタイプと、ガリ勉タイプ、スポーツ一筋タイプ、いろいろいたんですが、僕はどこでもアウェーな感じがしていた。いつもひとり、誰かと話すのは嫌いじゃないけど、気づくと乗れない自分がいる。いろいろな小説を読んでも絵空事にしか思えない。常に魂がいくつかに分かれて浮遊しているような感じでした」

 つらいわけではなかったが、楽しそうな仲間たちを見て羨ましいとは思っていたという。

 当時、住んでいた親戚が転勤のため一家で海外に行ってしまったので、高校時代の彼はひとり暮らしをしていた。自分のために料理をし、家事もすべてひとりでこなした。これが意外と心地いい生活だった。

ほぼ「交際ゼロ日」婚

 大学生になって、裕之助さんはようやく周りを観察する余裕が出てきた。人は何を思って行動に移すのか、人とのコミュニケーションはどうすると円滑になるのか。感情でわかろうとするより、理屈で考えたほうが納得がいった。

「そこから妙な浮遊感は減ったし、友人たちと楽しい時間を過ごせるようにもなりました。ごく普通の大学生活を送れたと思っています。今でも会って話せる仲間もいるし」

 ようやく笑顔を見せた裕之助さんだが、恋愛の話になるとまた眉間にしわを寄せた。つきあう相手との距離感がつかめず、苦労したこともあるらしい。それでも就職後に再会した学生時代の友人、友香子さんと28歳のときに結婚した。

「ほとんどつきあってないんですよ。数回、一緒に映画を観たり食事をしたりしただけ。彼女が結婚したいと言うので、『僕でもいいの?』と答えて結婚が決まりました(笑)。実はそのころ、父が1年ほどの闘病を経て亡くなったんですよ。父の死に顔を見ていたら、いろいろなことが思い出されて。母は涙ひとつこぼさなかった。あの夫婦はどういう関係だったんだろうと考えたけどわからない。通夜のとき、母親に『おとうさんをどう思ってる』と思い切って聞いてみたんです。母は遠くを見つめながら『恨みも憎しみもあるけど、執着もあるわね』と言った。愛情なんて言葉は出てこなかった。父と母のあの奇妙な行動が蘇りました。あの夫婦は、ああいうことを通してつながっていたんでしょう。結婚なんて、愛情たっぷりでなければできないものでもないんだろうと感じました。僕自身は、愛情云々ではなく、むしろ淡々とした友情に支えられていたほうがうまくいくんじゃないかと思った。その直後に友香子に再会したんです」

 友香子さんも同じように考えていたのだろうか。それについては聞いていないけど、「こんな安易な結婚でいいのかな」と彼が言うと、「私はあなたのことが好きよ」と答えたそうだ。ところがその後、彼は「とんでもないこと」を知った。

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