「太陽光発電」「AI」への礼賛はなぜ生まれた? 「未来はこうなる」という主張に振り回される人々

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「自然エネルギー」は未来を照らす“太陽”ではなかった――。原発事故以降、勃興した「エコロジー」を正義とする時代が終焉を迎えつつある。信じていた景色が音を立てて崩れる中、我々はどう生きるべきか。三島由紀夫を手掛かりに評論家の與那覇潤氏が鋭く迫る。

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 かまびすしかった「地球環境のための正義」、すなわちエコロジーの季節がいま、終わろうとしています。

 脱炭素化を目指す欧州の(石油に比べてCO2を出さない)天然ガスへの依存は、2022年2月、ガスの供給を人質に取るロシアのウクライナ侵攻を誘発しました。皮肉にも「ガスを止める」というプーチンの脅しからEUを守ったのは、地球温暖化にともなう相対的な暖冬です。

 言論の世界も変わりつつあります。同年11月にはベストセラー『人新世の「資本論」』の著者である斎藤幸平さんが、環境活動家による美術館での迷惑行為を正当化し炎上。23年1月には太陽光発電推進の論客だった国際政治学者の三浦瑠麗さんが、家族の営む関連企業が検察の捜査対象になったことにより、活動自粛を余儀なくされました。

 目下の国会でも、自民党の再生可能エネルギー議連の幹部(秋本真利・外務政務官)に、洋上風力発電をめぐる違法な利益誘導の疑いが浮上。自明の正義と思われてきたエコロジーの主張や関連産業が日々に、むしろ国民の不審の目にさらされ始めています。

エコロジーブームの起源

 私たちがこれまで信じてきた潮流は、なんだったのでしょうか。そしてそれが自明性を失う新たな時代を、日本人はどう迎えるべきなのでしょうか。

 今日につながる日本のエコロジーブームの起源は、2011年3月の福島第一原発事故です。脱原発と再生可能エネルギーの普及を求める声は空前の盛り上がりを示し、翌12年の間を通じて毎週大規模なデモが首相官邸を囲みました。

 このとき語られた「将来は自然エネルギーのみで100パーセント、電源をまかなえる」などの、極度に楽観的な未来を予測し称揚する空気は、その後エコロジー以外の分野にも広がってゆきました。2010年代の後半から続く「AIが政治家の代わりになる」・「ロボットで人口減少問題は解決する」・「働かない人もBI(ベーシックインカム)をもらえるようになる」・「仮想通貨で誰もが富裕層になれる」・「メタバースが……」といった論調は、誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。

 そうした浮き立った世相はいかにして生まれ、どのように終わってゆくのか。理解するための鍵は、未来への「過剰な憧憬」が語られる時代には常に、現実に対する「極度の不信」が張りついてきた事実に気付くことだと思います。

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