【袴田事件】再審開始決定 初めて泣いた姉・ひで子さんが帰宅後、巖さんに掛けた一言

  • ブックマーク

Advertisement

喜びは見せなかった巖さん

 16日、浜松市にいるひで子さんに電話し、巖さんとのやりとりを尋ねた。

「『東京でいいことあったんだよ』と伝えましたけどね。巖はほとんど反応がなく、ポカンとしていて喜びもないような顔で何も言わなかったですよ。それでも新聞の一面に袴田事件が出ているからそれをじっと見ました。自分のことが書いてあるということだけはわかっているんですけど、それについて何か言ったりはしませんし、私から感想を訊いたりもしませんでした」

 こんなメルクマールな時でも、マスコミなど周囲が巖さんの反応を期待しているからといって、それに合わせて弟に演出させたり、発言を求めたりは決してしない。

 その理由について、「47年間も監獄で不自由だったのだから、巖の好きなように生きさせてやりたい」と語る。

 これこそが「世界一の姉」たる所以である。そして改めて再審決定を受けて、初めて流した涙のことを問うてみた。

「2014年の村山さんの決定の時はね、支援者の皆さんみんなが泣いていたけど、私はもう嬉しくて嬉しくて、ずっとニコニコしていましたよ。巖が出てきたのは決定が出た少し後だったから、思わぬ巖の釈放で涙どころではなかった、というわけではないんですよ。でも今回は泣いてしまいましたね。あれからも10年近く経ったから、私も歳を取ってしまって涙腺が緩くなってしまったんですよ。きっと」と、電話の向こうでコロコロと笑いながら語ってくれた。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

前へ 1 2 3 4 次へ

[4/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。