【袴田事件】再審開始決定 初めて泣いた姉・ひで子さんが帰宅後、巖さんに掛けた一言

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 3月13日、東京高等裁判所の第2次請求審で「袴田事件」の再審開始決定が出された。1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社の専務一家4人が殺された事件で、強盗殺人罪により死刑囚となった元プロボクサーの袴田巖さん(87)と姉のひで子さん(90)の戦いを追った連載「袴田事件と世界一の姉」の31回目。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

姉・ひで子さんの涙

 少しだけ「嫌な予感」も脳裏をよぎらせていた雨が、この瞬間を祝福するかのように直前に晴れ上がった。

 3月13日午後2時過ぎ、弁護団の西澤美和子、戸舘圭之両弁護士が東京高裁の庁舎から正門へと走ってきた。押し寄せた報道カメラに向けて〈再審開始〉〈検察の抗告棄却〉と書かれた垂れ幕を誇らしげに掲げた。

 東京高裁の大善文男裁判長は「元被告人を犯人と認定することはできない」として検察の抗告を棄却し、再審開始を決定した。再審開始決定は2014年3月の静岡地裁(村山浩昭裁判長)以来9年ぶりだった。

 まもなく茶封筒を持った巖さんの姉のひで子さんと弁護団の小川秀世事務局長(70)、笹森学弁護士(69)らが歓声の中、満面笑みで登場。ひで子さんは「ありがとうございます。遂に来ました。57年間待っておりました。皆様のおかげです。本当に嬉しゅうございます」などと涙顔で話した。気丈な女性と思っていたひで子さんの涙を、この日初めて見た。9年前の静岡地裁の決定の際にも、ひで子さんは泣かなかったそうだ。

「涙もろい人」と支援者に言われる小川事務局長は「よかった。嬉しい。これで絶対に終わらせます」と語りながらも、涙が止まらない。小川弁護士は40年以上、弁護団として戦ってきた。

 この日、巖さんは上京せず、静岡県浜松市の自宅に「見守り隊」(猪野待子隊長)の人たちと残っていた。日課のドライブの途中で立ち寄った神社で報道陣に囲まれ、「勝つ日だと思うね」と答えたという。

巖さんに「具体的なことは言いません」

 日本弁護士連合会で記者会見を行ったひで子さんは「本当に嬉しい。(死刑が確定した)1980年の最高裁の判決の時はみんなが敵に見えた。その気持ちが日弁連など多くの人の支援で薄れていきました。抗告があるかもしれませんが頑張っていきます」と力強く語った。

 質疑で巖さんへの報告を訊かれると「具体的なことは言いません。『いいことがあったよ。安心しな』とだけ言います」などと話した。この日、ひで子さんは巖さんに目的を明かさず、「東京に行ってくる」とだけ言って出てきていた。

 死刑執行の恐怖に耐えながらの半世紀近い拘置所生活で、巖さんには拘禁症の影響が強く残り、発言の意味が通らないことが多い。ひで子さんは、これまでの筆者の取材に「巖を表に出すことを恥ずかしいなどとは思わない。冤罪で人間がこんなことになることを世に見せるのが、せめてもの国へのリベンジですよ」と話している。

 筆者が「ひで子さんはよく『国は巖が死ぬのを待ってるんですよ』と語っていましたが、今日はどんな風に受け止めていますか?」と訊くと、ちょっと聴き取りにくい様子で「すごく喜んでいますよ。今まで再審開始と思ったら棄却されたりでしたので、私も度胸が据わってきました。抗告されようが、とにかく頑張っていくつもりです」と答えた。

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