【放送法問題】先進国で政府がテレビを監視しているのは日本だけ…本来論じられるべき3つの問題

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放送法に政治的公平なんて必要なのか?

 第3に、放送法4条にある政治的公平が必要かどうかである。

 もう、なくしてもいいのではないか。極論ではない。例えば米国にも「フェアネス・ドクトリン(公平原則)」があったが、1987年に撤廃された。日本でも2018年、当時の安倍政権下の政府規制改革推進会議が政治的公平の撤廃を検討している。

 もはやネット配信は当たり前の時代になり、テレビと同様にスポーツ中継が楽しめる。政治を扱う配信チャンネルもある。にもかかわらず、テレビにだけ政治的公平が求められ、それを逸脱したと政府が考えると、停波の可能性まで浮上する。不思議な話だ。新聞、雑誌にも政治的公平の縛りなんて存在しないのは書くまでもない。

 米国の法学者で国連特別報告者のデイヴィッド・ケイ氏は、2017年に提出した訪日報告書で、政治的公平を定めた放送法4条の廃止を勧告した。政治的公平がテレビ局の報道の自由を制限しているという指摘だ。思うような政治報道をやりにくくしているからである。

 一方、政府は政治的公平があると、テレビ局を管理しやすい。政権党が、気にくわない政治報道をするテレビ局に対し、総務相を通じて「公平ではない」とレッテルを貼り、停波を命じることも可能だからである、停波になったら潰れる恐れもあるため、テレビ局は政権に楯を突けない。

 テレビが政治的公平から解放されようが、そう大胆な番組はつくれないから、心配は無用だろう。特定の政党に与する報道をしたら、視聴者から「偏向番組」として糾弾される。偏った新聞や雑誌、動画が広く受け入れられず、時に激しく批判されるのと同じである。

 政治的公平が定められている限り、現在の与野党攻防のような問題は永遠になくならない。公平かどうかなんて、誰にも判断できないのだから。

デイリー新潮編集部

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