てんかん、うつ、ADHD、自閉症スペクトラム症… 大学を中退した「障害者」の僕がゲームエンジニアから開発責任者になるまで

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「スキルで引っ張れ!」

 その働きぶりを評価して1年前、宮脇社長は福本氏を開発室の責任者に抜擢。その際、ある“取り決め”を交わしたという。

「室長就任の条件として“お前は苦手なコミュニケーション能力や調整力などでなく、技術で下の者を引っ張っていけ”と言いました。“新しい技術や言語を勉強しまくれ”と発破をかけ、実際に福本はわが社で一番、引き出しの多いエンジニアになった。私は自分の経験から、障害者にエンジニアへの門戸をもっと開くべきだと考えています。エンジニアなら、年収600万や800万円を手にする障害者も珍しくない現実があるからです」

 ガルヒでは障害者も健常者と同じ給与水準が保証され、福本氏の給与は現在、月額36万円を超えるという。その福本氏がこう言う。

「私の症状がいま落ち着いているのは、好きなことをやっているからだと思います。でも仕事ですから、気乗りしない、つまらない作業も時にはせざるを得ない。そういう時にうまくサボることができれば、障害者でも長く仕事を続けていくことは可能だと思っています。また障害者に限らず、自分の得手・不得手を見つけることで、人生が切り拓かれることもあると信じています」

 てんかんの薬を飲み忘れて「気づいたら病院のベッドや救急車のなか」だった時の恐怖や衝撃に比べると、何か困難にブチ当たっても「大したことはないと思える」と福本氏は笑う。

デイリー新潮編集部

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