てんかん、うつ、ADHD、自閉症スペクトラム症… 大学を中退した「障害者」の僕がゲームエンジニアから開発責任者になるまで

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不採用が奇貨となる

 結局、プログラミング会社は2年ほどで辞め、その後、親戚が経営する測量会社に入社するが、「測量と言っても海の上で船に乗って行う作業が多く、かなりハードな仕事内容」(福本氏)だったため、3年ほどで肉体的にも精神的にも限界が来て退職。

 その後、病気と折り合いを付けながら働く術を見いだすため、障害者の就労支援を行っている会社に面接へ行くが採用は叶わず。これがいまから約5年前のことだが、偶然にもこの不採用が、いまの会社との縁を生んだという。

 その経緯をガルヒ代表の宮脇正氏が話す。

「もともと私はIT開発会社を経営していて、当時は本社を福岡県に、開発拠点を宮崎県に置いていました。そのため宮崎で以前からエンジニア募集を行っていたのですが(募集を)打っても打っても人がなかなか集まらなかった。それをある時、経営者仲間との飲み会でコボしたところ、福岡で出版業や塾経営を営む社長の一人が“そういえば、この前、ウチにエンジニア経験者が面接に来たな。ただエンジニアを雇うつもりはなかったから採用しなかったけど、声を掛けてみるか?”と言い、紹介してもらったのが福本でした」

 IT開発会社時代、いわゆる「障害者」を雇用した経験はなかったが、福本氏の採用を契機として、宮脇社長は障害者の就労支援サービス事業に乗り出し、ガルヒが誕生することになる。その背景にあったのは、障害者に対する世間のイメージと実像の大きなギャップだったという。

「納期は1.2倍」設定

「最初から障害者として福本のことは紹介されましたが、プログラミング技術の高さに感心して、すぐに採用を決めました。実際にウチで働き始めると、福本は誰よりも真面目に仕事をし、かつ貪欲に新しいことを吸収していった。もちろん軽度障害者であるという前提や、営業などでなくエンジニアといった職種の特性はありますが、その時に“なんだ、障害者と健常者に違いはないな”と感じたのです。仕事において“向き・不向き”があるのはどちらも同じですから」

 福本氏入社の2年後、宮脇氏はいよいよADHDなどの障害を持つ若者を採用し、エンジニアとして訓練を施す就労支援サービスに乗り出す。これまで募集に散々苦しんできた宮脇氏だったが、障害者にまで視野を広げると一転、能力はあっても活躍の機会に恵まれない多くの若者の存在を知ることになったという。

「彼らがエンジニアとしてのスキルを身に付けた後、弊社で直接雇用するケースも少なくなく、いまでは10人近くの“障害者エンジニア”が社員として働いています。実際に彼らと仕事してみて思ったのは、障害者を雇うのは“全然大変なことじゃない”ということ。たとえばADHDの若者であれば、一つのプログラミング言語を完全に習得する前に、別の言語に手を出すなど“気が散る”傾向があるのは事実です。でも、そういった特性を無理やり克服させようとしなければ、浅くても幅広い知識を持つエンジニアが誕生することになる。そんな彼らには初心者向けのナビゲーターなど、適した仕事に就いてもらっています。その一方で気を付けていることが一つだけあります。障害を持つ社員には入社後しばらくの間は“納期を1.2倍”に設定するなど、少し余裕を持たせて仕事を任せることです」(宮脇氏)

 ペースを掴むまでは仕事の進め方や時間の配分法などについて、自分で考えて「最適解」を見いだしてもらうためだという。

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