市原悦子は「お行儀よくカタチにハマるのが嫌い」だった 今も語り継がれる「翔べ!必殺うらごろし」の怪演

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 ペリー荻野が出会った時代劇の100人。第18回は、市原悦子(1936~2019年)だ。

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 初めて俳優・市原悦子の時代劇の芝居をライブで観たのは、1982年、名古屋・御園座で上演された「近松心中物語」であった。

 元禄の世。飛脚問屋の生真面目な養子・忠兵衛(平幹二朗)は、大坂新地の遊女・梅川(太地喜和子)と離れがたい間柄となり、恋敵と張り合った挙句、預かり金の封印を切ってしまう。一方、幼なじみの忠兵衛を助けたことで小傘問屋の婿養子・与兵衛(菅野忠彦[現・菅野菜保之])と彼の妻・お亀(市原悦子)にも悲劇が……。

 降りしきる雪の中、愛しい梅川を手にかける忠兵衛。鳴り響く森進一の主題歌「それは恋」。近松門左衛門の人形浄瑠璃「冥途の飛脚」などを基に、義理と恋情にがんじがらめになっていく二組の男女の姿を、秋元松代の脚本と蜷川幸雄の大胆な演出で描いたこの作品は、後に「伝説の演劇」と呼ばれることになる。

 10代の小娘だった私は、平×太地が魅せる情念の迫力にただただ圧倒されたのだが、同時にお亀の可愛らしさにびっくりもしていた。気弱な亭主の与兵衛に恋焦がれるお亀は(小娘にはなぜこんなダメ男が好きなのかわからない)、命の瀬戸際なのにどこかハイテンション。無邪気な少女のような勢いで心中へと突き進む。コミカルなのに悲惨。カラコロとしたお亀の愛らしい声は、ずっと耳から離れなかった。凄まじいものを見せられていたのだと改めて思う。それまで生意気にもテレビアニメ「まんが日本昔ばなし」の語りの面白さ、巧みさもわかる気になっていたが、市原悦子の演技、声の使い方のすごさを、私はまったくわかっていなかった。

市原にしかできない役

「近松」の舞台から30年以上たって、何度かご本人から出演作への思いを聞く機会を得た。そこで印象的だったのは、「型を破る役がやりたい」という言葉だった。

 20代のころから「近所の女でもお婆さんでも、できれば主人公と仲良しではなくて、敵対する役にしてね」とお願いしていたという。その結果、なんとなくニオイでこれはいいとわかるようになったというのは、さすがだ。

 言われてみると、晩年に池波正太郎の「鬼平犯科帳」の朗読を担当した際、取り上げた作品は「掻堀のおけい」だった。凄腕の女盗賊が若い男を色と欲でからめとり、大店への盗みを手引きさせようとする。火付盗賊改方と女、うごめく盗賊たちの攻防が事件の鍵となる話で、色っぽいワルは彼女のお気に入りだった。

「時代劇は縦の線がはっきりしていて、キリッとしてるところがいい。時代劇に出るのは好き」ということだったが、もともとドイツ帰りの千田是也らが創立した劇団俳優座育ちで、時代劇の立ち回りなどはほとんど経験がなかった。確かに派手な立ち回りをする役柄はなかったが、時代劇でも「この人にしかできない役」が多い。

 1967年の映画「上意討ち 拝領妻始末」(東宝)は、殿から暇を出された側妻・おいち(司葉子)を一方的に息子・与五郎(加藤剛)の妻にと下賜された三百石の藩士・笹原伊三郎(三船敏郎)一家の物語。いちと与五郎には娘も生まれ、幸せに暮らす。だが、かつて彼女が産んだ男子が藩主の世継ぎとなり、「いちを返上せよ」との命が。脚本・橋本忍、監督・小林正樹。その年の「キネマ旬報」日本映画第1位となったこの作品で、娘の乳母・きくを演じたのが市原だった。封建社会の理不尽への意地を命がけで通す武士とは違う立場のきくの存在は、後々になって染みてくる。

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