三遊亭好楽が40年ぶりに落語協会の定席に 本人が語った“異例の出演”の理由とは?

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 落語界における歴史的な“椿事”が話題だ。演芸番組「笑点」で大喜利メンバーを務める三遊亭好楽(76)が、東京・浅草演芸ホールの2月中席(11~20日)における昼の部「五代目春風亭柳朝三十三回忌追善興行」に出演するが、好楽が落語協会の定席に顔を出すのは実に40年ぶり。

 ベテラン演芸記者の解説。

「都内には上野の鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場という四つの寄席があります。落語協会はこのすべてで興行を行いますが、落語芸術協会は鈴本以外の3カ所のみ。ほかの団体は原則として、利用が認められていません」

「江戸っ子を絵に描いたような人」

 昭和53年に勃発した落語協会の分裂騒動が遠因で、寄席から締め出された五代目円楽一門会に属する好楽は、昭和58年に落語協会を退会して以来の登場となる。

 当の好楽に内幕を聞いた。

「柳朝あんちゃんは大好きだったし、ものすごくお世話になった。弟子の(春風亭)小朝さん(67)から電話があって、遠慮なく出させてもらうことになりました」

“柳朝あんちゃん”とは、最初の師匠の八代目林家正蔵(後の彦六)のもとで兄弟弟子だった五代目春風亭柳朝のこと。昭和40年代から50年代にかけて、立川談志、古今亭志ん朝、五代目円楽とともに「若手四天王」と呼ばれる人気の噺家だった。

「新橋生まれの江戸っ子を絵に描いたような人。おかみさんともども可愛がってもらいましたよ。入門した年(昭和41年)、池袋で500円くらいのお歳暮を買って持って行きましたね」

 ちょうどその日は大みそか。

「着いたのは夕方で、あんちゃんは“よく来たな”と家に上げてくれた。ところがすぐに“新宿コマ劇場で生中継のお笑い番組に出る”と出かけちゃった。結局、初対面のおかみさんと2升5合の酒を飲んで年を越しました。当時は九蔵(くぞう)を名乗っていたから、その後は“きゅう坊、行くぞ”と、銀座や六本木のキャバレーやクラブに連れ出されて朝までハシゴしたものです」

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