日本人研究者を感激させた「イギリスの名門貴族」ならではの「細やかな心遣い」

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「ノブレス・オブリージュ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。直訳すれば「高貴なるものの責務」、つまり高い地位にある人は、それに見合うだけの社会貢献をすべきであるという意味である。

 イギリスの王室や貴族の研究で知られる歴史学者・君塚直隆さんは、30年ほど前にオクスフォード大学に留学した際、ある名門貴族の御曹司が見せた細やかな心遣いに、「これぞ本物のノブレス・オブリージュだ」と感激したことがあったという。

 君塚さんの新刊『貴族とは何か――ノブレス・オブリージュの光と影』(新潮選書)の「あとがき」から一部を再編集してお届けしよう。

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 そもそも著者が学部生時代にイギリス史を専攻し、さらには大学院へ進学して研究者の道を歩み始めた最初の関心事は、まさに「イギリス貴族」であった。特に世界中で姿を消しているにもかかわらず、イギリスにのみ「貴族院」が存続する理由とは何なのだろうか。このような関心から、イギリスに留学した際には、実際の貴族院の審議もぜひ見学したいと考えていた。

 著者がイギリス留学中に在籍したオクスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジは、当時、一代男爵に叙せられたばかりのドイツ出身の世界的に高名な社会学者が学寮長(Warden)に就いていた。

 新入生歓迎のレセプションでも「貴族院について研究しているのでぜひ見学したい」旨を学寮長に伝えていた。紹介状なしに普通に見学できる庶民院とは異なり、貴族院の見学には、貴族自身からの紹介による「チケット」が必要であった。学寮長は「チケットをとってあげよう」と言ってくれたものの、その後、何度もお願いしていたのに「梨の礫(つぶて)」が続いた。

 年が明けてしばらく経った後の夕食会で著者は学寮長の目の前の席に着いた。すると、なんとコレッジの院生たちがツアーを組んで貴族院見学に行くというではないか。ところが予約の締め切りはすでに過ぎており、それ以上の追加はできないという。コレッジの掲示板を見逃していた著者にも責任はあるが、それまで再三再四にわたって見学の許可をお願いしてきた著者に何かひと言あってもいいだろう。それにもかかわらず学寮長は「もう遅すぎる(It’s too late)」とにべもない態度であった。

「もうにわかの一代貴族なんかには頼まない! 高貴なるものの責務がわかっている世襲の貴族にお願いする!」と、著者は思わず激高して隣の友人に言ってしまったほどであった。

 翌日、著者はすぐにある人物に手紙を送った。相手のお名前はシェルバーン伯爵。当時の第8代ランズダウン侯爵の嗣子で、伯爵名は同家の長子に与えられる儀礼上の称号である。

 その頃著者は博士論文執筆のためにイギリス中の文書館や図書館を廻り、一次史料(本人自筆の史料)の渉猟に明け暮れていた。そのようななかで、当時まだ子孫のお屋敷に保管されていた文書もいくつかあり、そのうちのひとつが博士論文の主人公のひとりとなる第3代ランズダウン侯爵の文書であった。

 著者は冬休みを利用して、オクスフォードからも比較的近くにあるボーウッド・ハウスというランズダウン侯爵家のお屋敷に伺って、文書を調査させていただいた。ランズダウン侯爵家は、学術研究の公共的価値を深く理解し、それに貢献することを自らの義務としていた。

 そのようなご縁でシェルバーン伯爵(1999年から第9代ランズダウン侯爵になられている)とも仲良くさせていただいていたのだ。その伯爵に手紙をお送りするや、すぐさまお返事が来た。伯爵のイートン校時代の親友(アルスウォーター子爵)が保守党の貴族院幹事長をしているので彼にチケットをとってもらった、というのである。
 
 この伯爵からのお返事こそ、本物のイギリス貴族の「ノブレス・オブリージュ」だと身をもって深く感じ入ったものである。おかげで留学時代の親友たちと貴族院見学を経験することができ、30年ほど経った今でも懐かしく思い出す。

 その後、「貴族」からは少し離れてしまい、その頂点に君臨する「王室」や「王権」の問題に著者の関心は移っていた。しかし、このたび30年来の研究テーマとして「貴族」に立ち戻り、その伝統である「ノブレス・オブリージュ」の精神を解き明かす本書を著すことができたのは幸いであった。

※君塚直隆『貴族とは何か――ノブレス・オブリージュの光と影』(新潮選書)から一部を再編集。

デイリー新潮編集部

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