元世界王者・沼田義明が語る「世紀の大逆転KO」の舞台裏 恩師の“呪縛”から逃れた瞬間(小林信也)

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 沼田義明は高校をやめ、ブリキ屋を営む父を手伝っていた。16歳の時だ。

「野球選手になりたかったけど、プロで稼ぐには時間がかかるから」、60年前を振り返って、沼田が笑った。

 その頃、TBSと極東ジムが共同企画した新人発掘イベントの話を友人に聞かされた。運動神経に自信のあった沼田の心が動いた。

「就職試験に行くとウソをついて父に汽車賃をもらい、門別町(現日高町)から札幌に行った。寒い猛吹雪で靴もビショビショ。仕方なく裸足でテストを受けた。跳んだり跳ねたり、ものの10分か15分で、『東京に来てもらう』って。百何十人いた中でオレだけが合格」

 極東ジムの2階の合宿所に寝泊まりし、TBSのアルバイトで生計を立てた。

「練習は厳しかった。遊びじゃない、仕事だからね。人の3倍はやった。餞別(せんべつ)をもらって北海道を出てきた。父は大反対だったし、負けられない。3年だけ我慢しようと頑張った。そしたら」

 その3年で人生が変わる。デビューから無敗の25連勝。20歳になる直前(1965年4月)、東洋ジュニアライト級王者になった。そして67年6月、22歳で王者フラッシュ・エロルデ(フィリピン)を倒し、世界ジュニアライト級王座に就いた。

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