地方移住する仕組みを社会インフラにする――高橋 公(ふるさと回帰支援センター理事長)【佐藤優の頂上対決】

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 2021年の移住希望地ランキング第3位は山梨県、第2位は福岡県。では第1位は――。東京・有楽町の「ふるさと回帰支援センター」には、年間約5万人の移住希望者が訪れる。彼らはなぜ地方を目指し、どんな暮らしを求めているのか。コロナ禍で一層注目を浴びる地方移住の現状と課題。

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佐藤 地方への移住を希望する人と、都市からの移住者を求める自治体をつなぐ「ふるさと回帰支援センター」は、2022年に20周年を迎えられたそうですね。

高橋 11月3日に約150名の方々をお迎えし、記念レセプションを行いました。その会では、2040年までに全国の市町村の半数が消滅する可能性があるとした「増田レポート」の増田寛也氏や「ふるさと回帰フェア」などのイベントでご協力いただいている第16代早稲田大学総長の鎌田薫氏にごあいさついただくなど、大いに盛り上がりました。

佐藤 式次第を拝見すると、元厚労次官や元農水次官もいますし、連合や農協、生協の要職にある方々も並んでいる。そうそうたる顔ぶれですね。

高橋 文化の日ということで、各自治体首長の方々の参加が難しかったのですが、大勢の方に来ていただきました。

佐藤 高橋さんは3代目の理事長ですが、もともと高橋さんの発案で、その運営も実質的に高橋さんが行われてきた、と聞きました。

高橋 私は自治労(全日本自治団体労働組合)に20年勤めた後、50歳手前で連合に政策担当で出向し、その時にこのNPOを立ち上げました。自治労に戻る話もありましたが、それを断り、ここの専従を希望して事務局長になったんです。初代理事長には、学生時代から親交のあった作家の立松和平氏に就いてもらいました。

佐藤 では、この組織は連合の中から生まれたのですね。

高橋 原点となったのは、1998年の連合の「政策・制度 要求と提言」の「自然豊かな地方で暮らそう 100万人のふるさと回帰・循環運動」です。

佐藤 これも高橋さんが提唱されたのですか。

高橋 はい。私は、自治労時代に機関紙、学校給食や廃棄物政策、社会福祉、組織拡大などを担当し、地方を千カ所くらい回ったんですよ。そこで見たのは、少子化、高齢化、そして過疎化といった問題が山積した地方の現実でした。戦後の日本は、地方から東京へと人を供給することで、経済成長を成し遂げ、国を発展させてきました。でも、地方は顧みられることがなかった。そこで今度は東京から地方へ人を回帰させ、活性化しなくてはいけないと考えたのです。

佐藤 東京一極集中は高度成長時代が終わってからも、さらに進行し続けましたからね。

高橋 それからもう一つ、団塊の世代が定年を迎え、退職する2007年が迫っていました。私は福島県浜通り出身ですが、中学を卒業する時には、クラスの半分が集団就職で東京に向かいました。2007年には彼らが45年働いてリタイアする。みんなその後は田舎に帰りたいと言うわけです。だから私が帰る仕組みを作ろうと思った。

佐藤 ただ、連合という労働組合が行う労働運動とは少し毛色が違う活動ですね。

高橋 だから反対する人もいました。でも勤労者、労働者の定年後のことだって、労働問題ですよ。連合はその後、2004年に三大都市圏で組合員5万人に「定年後はどこで何をしたいか」について、アンケート調査をするんです。そうしたら、40%が「田舎に帰って年金を糧に悠々自適に暮らしたい」という回答でした。

佐藤 いまも定年後は自分が生まれ育った場所で、と思っている人は多いと思います。もっとも、「年金で悠々自適」とはいかないでしょうが。

高橋 その後2006年に改正高齢者雇用安定法が施行されて、企業は65歳まで継続雇用することが義務付けられました。ですから、いわゆる団塊世代の「定年後」の問題から、バブル崩壊以降の「失われた30年」と言われる中で東京一極集中にどう対応し、どんな国づくりをするか、そのためのふるさと回帰という面が強くなったところはあります。

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