有吉弘行、日村勇紀、鈴木福、千原ジュニア…タレントからの逆オファー流行のウラ事情

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 有吉弘行(48)が念願の初出演を果たした「NHK紅白歌合戦」。お笑いコンビ・猿岩石として「白い雲のように」がミリオンヒットとなったのは1997年のこと。当時は紅白出場が叶わなかったから、四半世紀にわたる夢を実現させたことになる。そのきっかけとなったのが、有吉がラジオで放った“逆オファー”だった。

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 NHKの前田晃伸会長(78)が「紅白歌合戦」の出場歌手について「知ってる人が少ない」と嘆いたのは、昨年12月1日のことだった。若い視聴者に重きを置いた人選であることは明白だった。

 その後、加山雄三、松任谷由実、安全地帯、桑田佳祐、佐野元春、世良公則、Char、野口五郎ら、前田会長もご存知の大物たちの追加出場が発表された。その中に、純烈のゲストとして、ダチョウ倶楽部と有吉の名もあった。民放ディレクターは言う。

「有吉の紅白出場が決まった経緯は、彼自身がラジオで明かしていました」

 12月18日に放送された「有吉弘行のSUNDAY NIGHTDREAMER」(JFN)でのこと。

有吉:紅白決定したんですよ。このラジオで言ったでしょ? 「大晦日、開けてますんで、紅白出るために。純烈とダチョウ(倶楽部)と『白い雲のように』、歌わせてくれと。今回しかもうチャンスがない」って。

――この放送をNHKのスタッフが聞いていたという。

有吉:その次の次の日ぐらいに、うちのチーフマネジャーが渋い顔して、「お前、ラジオで余計なこと言ったか? 紅白のこと言った?」って。「NHKの人に呼び出されてるんだけど」って言うから、「紅白の悪口、言ってないと思うけどなあ」って。

 その後間もなく、有吉の紅白出場が決まったというのだ。

落選した猿岩石

「純烈がダチョウ倶楽部と歌った『白い雲のように』は、有吉と森脇和成のお笑いコンビ・猿岩石が1996年12月にリリースしたデビュー曲です。翌97年に大ヒットし、150万枚のミリオンセラーを記録しましたが、それでも紅白出場は叶わなかった。有吉はその後、ミリオンでも紅白に呼ばれなかったことを恨んでいるとネタにしていました」

 もっとも、この年、「紅白に出場しないこと」が話題になったのは猿岩石ではなかった。

「97年はKinKi KidsがCDデビューした年で、デビュー曲『硝子の少年』は200万枚を超えるダブルミリオン。誰が観ても、この年、最も売れた新人アーティストでした。ところが彼らは、紅白を断ったのです」

 当時は同じ事務所のアーティストが何組も出られるわけではなかった。

「他のアイドルグループとの兼ね合いで、ジャニーズ事務所が断ったと言われています。一方、猿岩石の場合は、NHKが行った『紅白に出てほしいタレント』調査で人気がなかったための落選でした。今回はもともと、純烈&ダチョウ倶楽部で『白い雲のように』を歌ってもらうという演出で決定していました。有吉とのコラボは想定外だったそうです。有吉としては悲願の出場と言っていいかもしれません」

 それが本人からの逆オファーで決まるとは意外だ。

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