アントニオ猪木さんが語った「追想の七番勝負」 「アンドレはクレバーな男 仲間におごるのが大好きな親分肌だった」

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VSハルク・ホーガン

 後に世界的スーパースターとなる若き日のハルク・ホーガンとは、歴史的な一戦を行った。

──83年6月2日。ホーガンと王座を争っていた猪木は試合中、場外でホーガンのアックスボンバー(右腕をL字形に曲げて、肘を打ち付ける必殺技)を後頭部に食らい、額を鉄柱で痛打。さらにリングに上がろうとした瞬間、再びカウンターのアックスボンバーを食らって、KO負け。意識を失って救急車で搬送されるという、「猪木失神KO(負け)事件」を起こしてしまう。

「ホーガンの一発は、しばらく言語障害が残るほどのダメージがありましたね」

 猪木ほどの男がリング上で失神。プロレスの結果を扱うことがなかった読売や日経新聞までが記事にして、ワイドショーのレポーターが駆け回る騒動になったのも当然だが……、その真相に関してはいまだに諸説紛々。「猪木による自作自演だ」と断言する関係者もいる。

「……私は“環状線理論”って話をよくするんですが……プロレスファンを相手にプロレスをやっているのは環状線の環の中の世界。環状線の外にいるプロレスに関心のない層に向かってボールを投げていかないと、いつまで経ってもパイは増えないよ!ってことの例えです」

 ファン以外の無関心層をも無理やり振り向かせようとするため、試合内容は激しくなり、事件やスキャンダルの類も次々と起こることになる。このころ直木賞作家となった村松友視は、こんな猪木のプロレスを「過激なプロレス」と高く評価し、理論的支柱となっていった。

アリと生涯最大の勝負

 やや時間は遡るが、猪木が環状線どころかジャンルまで超えて、世界中を大騒ぎさせたのが、一連の「格闘技世界一決定戦シリーズ」だった。白眉はもちろんアリ戦だ。

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