アントニオ猪木さんが語った「追想の七番勝負」 「アンドレはクレバーな男 仲間におごるのが大好きな親分肌だった」

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VSタイガー・ジェット・シン

 大モメのあげく古巣から独立し、72年に新日本プロレスを旗揚げした猪木。だが当初はテレビ局も付かず、ドリーら一流外国人レスラーのほとんどを馬場に押さえられ、苦戦が続いていた。そこに彗星のごとく現れて壮絶なラフファイトを見せたのが、インド系カナダ人のシンだった。

──そして有名な事件が73年11月5日に起こる。東京・新宿は伊勢丹でのショッピングから帰ろうとした猪木と女優の倍賞美津子夫人(当時)を、シンと外国人レスラー2人が正面入口前で襲撃。猪木は殴られ、蹴られ、ガードレールや車のボンネットに頭をぶつけられて流血の負傷(顔に6カ所の切り傷、全身に11カ所の打撲傷)に。周囲は黒山の人だかりとなり、目撃者が警察に通報した。パトカー数台が駆けつける大騒動(シンらは警察の到着前に逃亡)に、気丈な倍賞美津子も恐怖で顔を引き攣らせたという。

 衝撃的な出来事として大きな話題となったが、同時に当然のごとく、「ヤラセではないのか?」との批判の声も巻き起こった。

「う~ん。今さらね、プロレスの裏はああだった、実はこうだったとは言いたくないんですが……ひとつだけ言えるのは、プロレスは興行なんでね。“はい、チケット用意しました。ポスター刷って貼りました”だけでお客が入れば、誰も苦労はないんですよ(笑)」

 結果、新日本プロレスは管轄の四谷警察署に厳重注意を受け、始末書を出す顛末となったが、この事件で「狂える虎」シンの悪党人気は沸騰。猪木vsシンはドル箱カードとして、長く新日本プロレスを潤した。

VSアンドレ・ザ・ジャイアント

 かくして猪木と新日本プロレスは上昇気流に乗り、招聘する外国人レスラーの顔ぶれも充実の一途をたどる。なかでも身長223センチ、体重250キロ超のアンドレは、“世界のプロレス界でもっとも稼ぐ男”と呼ばれるほど、破格のスターだった。

「ひと言でいって、人間離れした〈怪物〉。勝つとか負けるとか以前に、彼と組み合って試合するだけで本当に大変だから。でも巨体ゆえの有利さも、不便さも表現できていた。見た目と違って、と言ったら失礼だけど、クレバーな男でしたよね。あとレスラーはケチが多いんだけど(笑)、アンドレは仲間におごるのが大好きな親分肌でしたね」

 その巨大さから、ボディスラム(抱え投げ)しただけで世界的なニュースとなる怪物を、おそらく最も多く投げているのも猪木だろう。

「私はいわゆるバーベルを持ち上げたりする力は、そんなにないんですよ。だからタイミングとかの技術と……アンドレからの信用もあったんでしょうね。“イノキになら投げられてもいいや”という……」

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