「俺は27億円で竹下政権を作った」 政界タニマチ・東京佐川急便「渡辺広康社長」のかわいそうな最期
角栄にもちゃんと届けて
渡辺はのちに“政界のタニマチ”と呼ばれた。角栄邸におけるような“成功体験”を重ねるうちに、あぶく銭をまきにまいて運輸行政をかいくぐるうまみを覚えていったのだ。
なかでも、渡辺を悦に入らせていた一件について、先の関係者が語る。
「渡辺さんは常々、“俺は27億使って竹下政権を作ったんだ”と話していましたからね」
自民党総裁であった中曽根康弘の裁定で、当時、ニューリーダーと呼ばれた竹下登、安倍晋太郎、宮沢喜一のなかから竹下が次期総裁に選ばれたのが、87年10月末。翌月、竹下内閣が誕生したが、
「渡辺さんは竹下登の経世会に15億円、そして田中角栄を押さえるために12億円使ったと言っていました。竹下がそのころの田中派内に、経世会の前身の創政会を立ち上げたあと、角栄は脳梗塞で倒れましたよね。そのあとだったにもかかわらず、ちゃんと角栄にカネを届けているからすごいですよね」
竹下政権が誕生するうえでネックだったことに、右翼団体の「ほめ殺し」攻勢があったが、これを押さえるべく動いたのも、渡辺だったという。
「赤坂の料亭で竹下さんと会ったとき、“なんとかなりませんか”と相談があったんだそうです。でも、その右翼団体とのチャンネルを持っていたのは、稲川会の石井進会長ともうひとりくらい。そこで渡辺さんは、行きつけの銀座のクラブのオーナーを通じて石井さんへの面通しを実現させ、ほめ殺しをやめさせてほしいと頼みました。その後、石井さんと右翼団体側とのやり取りを経て、実際に街宣活動は止まったんです」
こうして渡辺広康は、永田町で大いに名を上げたという。
むろん、あぶく銭が膨らむところには、各界の著名人も集まってくる。
「渡辺さんは藤島部屋の後援会長で、貴乃花がまだ横綱になったばかりのころかな、化粧まわしに渡辺さんの名前が入っていましたね。橋幸夫やアントニオ猪木とも親しかった。東京佐川急便事件の捜査過程で、渡辺さんと森光子が一緒にいるパーティーのビデオが東京地検特捜部に渡って、森さんが地検から“渡辺さんとどんな関係ですか”って事情聴取を受けた、なんてこともありました」
だが、渡辺は、むしろ愛人に思い入れがあったのかもしれない。渡辺運輸を設立する2年前に結婚した妻との間に、2人の子供をもうけていたが、
「何人も愛人がいて、東京佐川急便で働いていた女性との間に男の子と女の子を、コリアンクラブ出身の女性との間にも、女の子と男の子をもうけていました。渡辺さんは、付き合った愛人にはみんな子供を産ませていますから」
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