「代理出産」はこんなに危ない! 日本人女性が「供給者」になる新たな貧困ビジネス

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国内での状況は?

 ここで国内の状況に目を転じてみます。まず1991年、東京に「代理出産情報センター」が開設されたことで、米国人女性の身体を用いた商業代理出産が始まりました。それでも当時は「代理出産は女性の人権侵害である」として、日本のフェミニストらは批判してきたのです。

 そうした論調は、2000年代に入って変化していきます。00年、長野の「諏訪マタニティークリニック」の根津八紘医師によって、姉妹間での無償代理出産が実施されました。また同じ年、タレントの向井亜紀さんが広汎子宮全摘手術を受け、03年には夫婦で用意した受精卵を用いて米国ネバダ州の女性を代理母として双子の男児を得ます。対して厚労省の審議会と日本産科婦人科学会は03年、そろって「代理出産を認めない」という立場を表明したものの、世間では容認ムードが強まっていき、現在まで法整備には至っていません。

 しかし根津医師はその後03年には、姉妹間での代理出産を休止すると公表、続いて14年には母娘間の実施も取りやめています。現在、国内で家族間の無償代理出産を公に行っている医療機関はありません。日本人が時折メディアに取り上げられるケースは、基本的に外国人の身体を用いた商業代理出産です。

「マンジ事件」「赤ちゃん工場事件」

 邦人男性が「生殖アウトソーシング」の当事者となったケースでよく知られるのが、08年の「マンジ事件」です。日本人の妻を持つ男性医師がネパール人女性の卵子を用いてインド人の代理母に子を産ませました。ところが出産直前に男性が離婚した影響で、暫定的に「マンジ」の名で呼ばれたこの女児は、インドの法律によって父親が日本に連れ帰ることができず、国際的な話題となりました。実はこれが、インドで外国人利用が制限されるきっかけとなったのです。

 それから14年の「赤ちゃん工場事件」。20代の独身邦人男性が、莫大な資力に物を言わせてさまざまな人種の卵子とタイ人の代理母を用い、19人の子を得ていた案件です。インターポールの捜査が入り、こちらも世界中で報じられましたが、少なくとも法律上は問題がなく、裁判を経て男性は13人の親権を得ています。こちらもやはり、タイが外国人による代理出産を禁ずる契機となったのでした。

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