神戸山口組の寺岡前若頭が6代目山口組側に謝罪してカタギに

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今回の面会の中身とは?

 その流れの中で、今年8月22日、神戸山口組を出ると宣言。井上組長からは絶縁処分を受けている。

「クーデターほど急進的ではなかったとはいえ、親分に引退・解散を迫るようなことは生半可な気持ちではできません。当然、腹を括ったうえで進退をかけたものであり、うまく行かなかったからには自ら身を退く他なかったということでしょう」(同)

 この若頭脱退をきっかけに、神戸山口組とかつて組織から抜けていた池田組がヨリを戻すように「対等連合」を組んだ。しかし、その直後に、連合を取りまとめたはずのもう1人の神戸山口組最高幹部で当時の副組長、入江禎・2代目宅見組組長も組織を脱退することになる。

 気になる今回の面会の中身はどうだったのか。

「寺岡前若頭は高山若頭と竹内若頭補佐と面会し、6代目山口組を脱退して神戸山口組を結成したことが間違いだったと頭を下げた模様です。山一抗争の最終局面の1989年に、一和会の山本広会長が組織を解散した後、稲川会の稲川裕紘本部長を介在人に、山口組本家を訪れて謝罪を行ったのと同じような形式と思われます」(同)

中野太郎会長に引退の引導を

 寺岡前若頭も侠友会を解散し、自身はカタギとして余生を過ごすことになりそうだ。

 ところで、寺岡前若頭は、5代目山口組の宅見勝若頭にヒットマンを向かわせた中野会の中野太郎会長に引退の引導を渡した張本人でもあった。

「当時、寺岡前若頭は6代目山口組の若頭補佐でしたが、人生において1度ならず2度までも、組織や組織にいた人間に引退を進言するとは、皮肉な役回りだなと感じましたね」(同)

 今後の寺岡前若頭の動きなどについては随時レポートする。

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