「石原裕次郎」「勝新太郎」「梅宮アンナ」との親交から、伝説の“丸刈り”事件まで… 芸能リポーター「前田忠明」の知られざる芸能界“血風録”

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「ひとつの時代の終焉」……。芸能リポーター・前田忠明氏(享年81)の訃報に接した多くの関係者はこう漏らす。あまたの芸能人と丁々発止の真剣勝負を演じただけでなく、そこから時に「裸の付き合い」にまで“肉薄”——。その足跡は、ハチャメチャな一方で、煌びやかに輝いていた芸能界の「黄金時代」を映すものだった。

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 9月28日、都内の自宅マンションで転倒した前田氏は頭を強打。病院に搬送されたものの、くも膜下出血により亡くなっていたことが明らかになった。

 “後輩”に当たる芸能リポーターの川内天子氏がこう話す。

「訃報を耳にした時はショックで一瞬、体が動かなくなりました。須藤甚一郎さんに福岡翼さん、そして私の師匠である梨元勝に続き、前田さんまで旅立ってしまった。“芸能リポーター”という看板を確立し、事務所を飛び越えて芸能人と直接ぶつかり合った最後の世代のひとりでした」

 “マエチュウ”の愛称で親しまれた前田氏は北海道岩見沢市出身。女性週刊誌記者を経て1980年、フジテレビと専属契約を結び、芸能リポーターとしての活動をスタートさせた。同局の「おはよう!ナイスデイ」や「とくダネ!」などのコメンテーターも務め、フジとの契約が解除される20年3月まで約40年にわたり、第一線で取材を続けた。

「単に知り得たことを報じるだけでなく、取材現場で芸能人の懐に入り込み、相手の言い分に真実があると思えば、その擁護に回ることもありました。謝罪会見の場などで渦中の芸能人の立場や事情を酌んだ質問をあえて発し、一方的な報道にならないよう腐心したことも。芸能人といえど、同じ人間。あくまで“ヒト対ヒト”の関係であることを取材のベースに置いていました」(川内氏)

石原裕次郎、勝新太郎、梅宮アンナらとの交流

 そんな前田氏ゆえ、一度、信頼を勝ち得ると交流が急速に深化する芸能人も多かった。なかでも“昭和の大スター”石原裕次郎との交友は有名だったという。

「『石原軍団』恒例の石和温泉での忘年会には毎年、前田さんも呼ばれて参加していました。裕次郎さんだけでなく、軍団メンバーとも親交を深め、世間が驚いた神田正輝と松田聖子の“聖輝のビッグカップル”誕生の際も、“前田は漏らさなかっただけで事前に全部知っていた”との話が出回ったほど。実際、他局の芸能記者が前田さんに“取材”することも珍しくありませんでした」(民放キー局幹部)

 他にも美空ひばりや勝新太郎とも取材を超えた関係を築き、とくに勝とは“家族ぐるみ”の付き合いだったという。前田氏が生前、雑誌のインタビューに語ったところでは、勝がなにか不祥事を起こすたび、妻の中村玉緒から「番組でどんなことを言うつもりでっか? 頼みますわ」と電話が掛かってきたことを明かしている。

「梅宮辰夫や娘のアンナも前田さんには信頼を寄せていました。アンナと羽賀研二が“くっついては別れる”を繰り返し、金銭問題なども加わって騒動へと発展していた最中、いよいよアンナが羽賀を見限る“決別宣言”を取ってきたのが前田さんでした。アンナ本人から“話すなら、前田さんしかいない”と逆指名されてのインタビューだったといいます」(同)

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