村田兆治のフォークボールを受けて意識が… 素人相手にも手を抜けなかった村田の素顔(小林信也)

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東京ドームの天井

 村田の剛球伝説、猛練習の逸話は数多く伝わっている。私が聞いた話で最も印象深いのは、金田正一の実弟で、同じ時代にロッテで活躍した金田留広の回想だ。

 私は留広から「投手の練習法」について何度となく詳しい話を聞いた。正一は二言目には「走れ、走れ」と言うので有名だった。が、もちろん他にも大切な練習があった。そのひとつが、「ボールを真上に投げる練習」だ。留広は言った。

「東京ドームで投手陣がみんなで真上にボールを投げた。体の柔軟さとバランスも重要で、全力で真上に投げるのは難しい。いちばんは兆治だった。東京ドームの天井に当てたからね」

 マサカリ投法で真上に投げる姿が目に浮かぶ。村田は何をやっても「桁外れ」だった。「通算暴投148」という日本記録の持ち主だが、これは2位石井一久の115を33も上回るダントツの生涯記録だ。

消えたフォークボール

 村田が90年秋に通算215勝で引退して4年目の94年。私はNHKテレビの番組「スポーツ百万倍」で村田の投球を受けた経験がある。軽くキャッチボールをした後、村田が私に座れと言った。この相手なら大丈夫と踏んだのだろう。かなり本気の速球を私のミットに投げ込んできた。140キロはないと思うが、肝を冷やすには十分威力のあるボールだった。すると村田は、フォークの仕草をした。

(この人、本気でフォークを投げる気か?)

 私も向こう見ずだから、ちょっとうれしかった。背広姿の村田が、足を上げて左のお尻をこちらに向けた。バリバリのマサカリ投法。そして……。目の前でフォークボールがフワッと消えた時、私の意識は一瞬、どこかに飛んでいた。

 ショートバウンドした村田のフォークを、私は何とかミットに当てて前に弾いた。マスクもプロテクターもしていない。よくもそんな無防備な格好でサンデー兆治のフォークを受けたものだ。私は、体の中の集中力と気合のインジケーターが一瞬にして「エンプティー」になるのを生まれて初めて実感した。

(もうだめ、無理!)

 ところが、十数メートル先の村田は、何とか受け止めた捕手に気をよくしたのか、もう次の投球動作に入っている。そしてまたフォークを投げ込んできた。フォークが落ちる瞬間、私は虚を突かれ、魂を奪われたような感覚に襲われた。打者が思わずバットを振るのはその幻惑のためか? それにしても、またワンバウンドだ、危ない! 私は思わず村田に向かって叫んだ。

「素人相手にワンバウンドはやめてください!」

 すると村田もすぐ叫んだ。

「フォークってのは、そういうボールだ!」

 手を抜くという概念がないのだろう。村田はボールにサインを書き込んだ。

“人生先発完投”

 23年の現役生活で通算604試合に登板。先発は433、うち完投が184試合もある。
完投率.425。このような完投型の投手は、分業制が確立した今後はもうなかなか現れないだろう。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2022年12月8日号掲載

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