「高1のとき相手の3年生に殴りかかり退場」 森保監督の実父が語る知られざる素顔

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相手の3年生に殴りかかりレッドカード

 監督の采配にあれこれ思ってしまうのは、身内も同様のようで、

「なんであっちを出さないのか、なんで代えんのかとか、思うときもあります」

 と話すのは、森保監督の長崎の実家で暮らす父親の洋記さん(80)である。

「カタールに発つ前の11月4~5日、東京の一(はじめ)のマンションに行きました。“2日間だけなら時間あるよ”と言うんで、泊まらせてもらったんです。次の日は泉岳寺の浅野内匠頭のお墓に行きました。歴史が好きで、一の自宅がすぐ近くなもんで、連れて行ってもらいました。一も、一の奥さんも線香を上げましたよ」

 名前が似ている浅野拓磨に期待して、線香を上げたのだろうか。

「ハハハッ。それは偶然でしょ。名前はよく似ているけど。サッカーの話はしなかったですよ」

 ところで、余裕があって人に気を使える監督の原点も聞きたいところである。

「結構、気が短いんですよ、僕に似て。僕はスパルタ教育で、口で怒るより手のほうが早かったからね。(高卒後)広島に行ってから、短気じゃダメだってわかったんじゃないですかね。サッカーの試合で、チームメートがラフプレーでやられたりすると、怒りよったです。僕が見たのは高1のときに3年生がやられて、一が走っていくからなにかと思ったら、相手の3年生に殴りかかっていて、レッドカードをもらっていました。やられたらやり返すと教えてきたから。会社から帰って練習を見てたりしたんですが、ちんたらしてたら蹴っ飛ばしよったですもん。代表では怒らないというけど、僕の子供だから、本当はそれくらいしたい気持ちもあるのに、ぐっとこらえとるかもわからん」

「よくあんな子が一にほれたなあ」

 いまの余裕は、どこで身に付いたのだろうか。

「たしかにうちの女房には優しい。静岡に女房の実家があるんですが、清水に視察に行ったりすると、実家に寄って墓参りしてくれるんですよ。小さいときから“あいさつはしなさい”と言ってたんです。勉強は、僕がボンクラだから言ったことがなかったけど、“後輩をいじめるな”とか、そういう教育はしてきました」

 加えて監督の妻、由美子さんの影響はないのか。

「長崎日大高校の同級生で、高校時代は嫁のほうが短距離選手で有名人だったんですよ。23歳くらいで結婚しましたね。通学バスが一緒で知り合ったみたいで、高校の監督から“由美子さんは心がやさしい子で、あんな子はそんなにおらんから、嫁にするならあの子がいいよ”と言われていたんです。僕らにも優しく、嫁姑問題もまったくない。よくあんな子が一にほれたなあって。中学では飛び抜けて足が速かったようで、西彼杵(そのぎ)郡で出した記録がいまだ破られていないらしい。姓が同じ森保だったんです」

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