流行する「DAO」は空想的社会主義の現代版? 思い出す慶應SFC時代の不便さ(古市憲寿)

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 明治大学のリバティタワー、法政大学のボアソナード・タワーなど、都心の超高層ビルをキャンパスとする大学が増えている。

 大学がビルというのは味気ないと感じる人がいるかもしれない。だが都心への通学に魅力を感じる学生は多い。ある大学の先生は「うちの経済学部は郊外から都心にキャンパスを移したら偏差値が5も上がったんだよ」と自慢していた。

 かつて大学がこぞって郊外にキャンパスを移した時期がある。最後の波は、バブル期前後だった。

 僕の通っていたキャンパスも神奈川県藤沢市にあった。正式名称は「湘南藤沢キャンパス」、略してSFCと呼ばれる。もう一つのSFC(スーパーファミコン)と同じ1990年に開設された。「湘南」とあるが、キャンパスは養豚場の匂いが漂う畑の中にあって、まるで海など見えない。パンフレットでは「湘南からの熱い風が吹く」などと、分譲マンションの謳い文句のようなことが書かれていたと記憶する。

 土地は広く、もちろん超高層ビルなどない。教室棟は2階建てが基本で、分散して建てられている。何が起こるかというと、天気の悪い日は、教室間の移動で雨に濡れるのだ。隣り合った棟へ行くにも屋根がなかったり、不便で仕方がない。

 SFCの開設に関わった教授からは、この不便さは意図的なものだと教わった。早くからコンピューターの導入に積極的なキャンパスだったので、学生に自然を感じてほしかったという。

 こんな説明も聞いた。「自律分散」という思想を体現したキャンパスだというのだ。インターネットには中心がない。王様や総理大臣にあたる人が存在せずに、さながら島宇宙のように、小さな世界が点在し、それぞれがつながり合っている。僕が大学生だった21世紀初頭も、インターネットの普及とともに「自律分散型ネットワーク」を語る人が多かった。発想はわかるが、冬の雨は冷たい。

 さて、時は巡って、最近ではDAOという言葉が流行している。分散型自律組織の略で、代表者や管理者が存在せず、自律的に機能する組織を指すという。

 発想としては全く新しくない。20年前の「自律分散型ネットワーク」とそっくりだし、50年前のヒッピー思想とも近い。「DAOが世界を変える」と息巻いている人自身が知らない可能性もあるが、元ネタは空想的社会主義に見出せる。強大な権力者による支配のない、分散的に存在する平等なコミュニティーというのは、ユートピア論の基本でもある。

 DAO信者は、思想としては古くから言われてきたことが、今度こそブロックチェーンという新技術によって可能になったと主張するのだろう。国家を超える可能性を秘めた技術であるのは確かだ。特にインターネットにさえ「国境」が築かれつつある現在、分散型組織の重要性はわかる。

 だが彼らが熱くDAOについて語れば語るほど、SFCで雨に濡れた日々を思い出す。大学の都心回帰が進む中、DAOとSFCはどこへ向かうのだろうか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2022年12月1日号掲載

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