薬から人工衛星まで 光学技術で「製造」を変える――馬立稔和(ニコン社長)【佐藤優の頂上対決】

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 スマホの登場によってカメラ市場は大きく縮小した。世界に冠たる日本のカメラメーカーは、これにどう対応し、今後いかに生き残りを図っていくのか。ニコンは長年培われてきた顕微鏡やレーザー技術など光学技術をもとに、モノづくりを大きく変える三つの戦略事業を始めた。老舗企業の新たなる挑戦。

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佐藤 ニコンは言わずと知れた世界的なカメラメーカーですが、カメラを取り巻く状況はスマートフォンの登場によって大きく変わりました。この数年で主要なカメラ雑誌はほとんどなくなってしまいましたね。

馬立 おっしゃる通りで、スマホの影響でカメラ市場は急速に縮小し、出荷数量は最盛期の10分の1以下になっています。またレンズ交換式のカメラでも、一眼レフからミラーレスに切り替わる大きな転換点を迎えています。

佐藤 2020年にミラーレスの出荷数量が一眼レフを上回ったそうですね。

馬立 はい。弊社もミラーレスに力を入れており、昨年、その最上位機種である「Z 9」を投入しました。

佐藤 つけるレンズによっては総額100万円以上になるそうですが、非常に評判がいいですよね。カメラグランプリ2022の大賞を受賞されている。おめでとうございます。

馬立 ありがとうございます。「Z 9」は発売して約1年経ちますが、いまだにご注文から納品まで数カ月いただいており、お待ちいただいているお客様にはご迷惑をお掛けしています。

佐藤 カメラは、世界にメイド・イン・ジャパンのクオリティーの高さを認知させた象徴的な商品だと思います。いまでは世界中どの観光地に行っても、ほとんどの人が日本のカメラを持っている。私もかつてソ連共産党の高官に、ニコンのカメラを何度かプレゼントしたことがあります。

馬立 弊社がカメラの製造を始めたのは、第2次世界大戦後のことです。戦前は、双眼鏡や対象物との距離を測る測距儀(そっきょぎ)などを作っていました。第1次世界大戦でドイツから光学製品が輸入できなくなり、光学製品の国産化を目指して三菱財閥の4代目・岩崎小彌太(こやた)が私財を投じ作った会社です。当時は日本光学工業という名称でした。

佐藤 戦前はBtoB(ビジネス対ビジネス)の会社だった。

馬立 BtoG(ビジネス対国家)と言った方がいいですね。でも戦争が終わると仕事がなくなってしまいます。それで先輩たちは、事業の候補を20項目くらい挙げ、その中からカメラを選んだ。戦後の旅行ブームや、アメリカで大きな需要があったことなどが理由だったようです。

佐藤 高校時代、カメラ部は非常に人気がありました。ただカメラはとても高価でしたから、お金持ちの子供たちが多かったですね。

馬立 部活動になったり、趣味になったり、カメラは個々人が生活を楽しむことに大きく貢献してきたのではないかと思います。

佐藤 それはスマホで撮ってインスタグラムに載せることにもつながっています。いまもカメラの文化は健在ですが、一方でカメラを中核事業とするのは難しくなってきたのではありませんか。

馬立 そうですね。弊社はカメラのほかにも、戦前からの光学技術を生かす事業に取り組んできました。1970年代からは、半導体の製造装置の一つである露光装置を手掛けています。精機事業と呼んでいますが、これまでこの事業とカメラの事業が弊社を支えてきました。

佐藤 かつて日本は半導体大国でもありました。

馬立 弊社も1980年代、90年代は露光装置がドミナント(支配的)な状態にあり、世界的に大きなシェアを持っていました。それが2000年代に海外の競合に追い抜かれてしまった。ただ当時はデジタルカメラが大きく伸びて会社を支えます。その後、カメラが下降線をたどりだすと、今度はFPD(フラットパネルディスプレー)への集中投資が起き、それに必要な露光装置が大きな利益を上げました。

佐藤 好不調の波を両者が補うようになっていたのですね。

馬立 ただ2010年代後半には、デジカメ市場が縮小し、露光装置も落ち込んだ状態になるんです。

佐藤 2020年度は赤字に転落しました。でも翌年にはすぐV字回復されている。何が行われたのですか。

馬立 これにはいろいろな要素があって、人員削減やカメラの工場閉鎖など痛みを伴う改革を行うと共に、半導体露光装置の事業を見直して黒字化したりしたのですが、一番大きいのは、全社的に戦略の明確化を行ったことですね。新しい事業を立ち上げ、それぞれの分野で重点をどこに置くかをはっきりさせたのです。

佐藤 そこは経営の神髄が表れるところです。

馬立 以前からカメラの映像事業と、半導体露光装置、FPD露光装置の精機事業の二つだけでは先行きが見通せない状況でしたから、新しい事業の柱を作ろうとしていました。ヘルスケアと、材料加工などのデジタルマニュファクチャリング、そしてコンポーネント、これら三つを戦略事業とし、その中で重点化する事業を決めていきました。

佐藤 いまニコンは会社として、カメラメーカーから大きく変貌を遂げようとしているところなのですね。

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