女性客も“お座敷遊び”で盛り上がる、有馬温泉「芸妓カフェ」 15年ぶりに十代「新人」も誕生の奮闘記

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有馬芸妓のルーツは「湯女」

 有馬芸妓のルーツは、温泉客の世話をする「湯女(ゆな)」に起因し、その歴史は鎌倉時代までさかのぼる。

 温泉地としては珍しく、有馬には7つも寺院があるのだが、これは古くからこの地が湯治場であると同時に、そのまま最期を迎えてもいいように――。つまりは、ホスピスの役割も担っていたからだという。そうした文化の中で「湯女」は、ケアスタッフとしての側面を持ちながら、その役割をまっとうし、近代化とともに「芸妓」へと名称を変えていく。

 そのため、京都や金沢をはじめとした地域の芸妓は料亭をお座敷の対象とするが、有馬芸妓はルーツである温泉を有する旅館をお座敷の対象とする。有馬温泉(にある旅館)に活気がなくなれば、おのずと有馬芸妓の仕事もなくなっていくことを意味する。

 有馬検番は、兵庫県内に唯一残る最後の検番だ。バブル崩壊後の不況と、阪神・淡路大震災を契機に芸妓は急減し、最盛期はたくさんの人が働いていただろう趣のある木造三階建ての有馬検番からも、芸妓たちは消えていった。

「一階は物置のような状態になっていました」。そう一菜さんが話すように、有馬検番もがらんどうになっていたそうだ。だが、このまま放置させるのはもったいない。そこで2015年に、1階部分を常設舞台のあるカフェバーにリニューアルし、「芸妓カフェ 一糸」としてオープンしたという。狙いは二つある。

「京都に比べると、有馬芸妓はあまり知られていないんですね。有馬芸妓のことを知っていただく機会を増やして、認知度と集客力を上げたかった。もう一つ、後継者育成の観点から、透明性のある場所が必要だと思ったんです」

カフェで伝える芸妓のリアル

 減少していくからこそ、新しい芸妓の担い手を育てていかなければいけない。半面、仕事場であるお座敷で、芸妓がどんなことをしているのかを伝えることは難しい。そうした機密性の高い職場環境がネックとなり、「問い合わせ」はあっても、実際に「芸妓になりたい」というところまでは、進展することが少なかったという。

「『芸妓カフェ 一糸』がオープンしてからは、問い合わせをいただいた人に、『一回足を運んでみて』と伝えています。私たちがどんな芸をして、有馬芸妓とはどういう存在なのか、一度来ていただけたら最低限のことはわかります。先ほど、カフェで私たちの説明を聞いていただいたと思うのですが、有馬芸妓の世界がわかりやすかったはず(笑)」

 いたずらっぽく笑うが、実際にその通りなのだ。有馬芸妓の歴史をはじめ、必要なスキルや金銭的事情、マナーまで包み隠すことなく話すからこそ、芸妓のリアルが伝わってくる。

 現在、「半玉」(見習い)として修業中のさくらさんは、『芸妓カフェ 一糸』を母親とともに訪れ、その先進的な取り組みに惹かれて、この世界の扉をたたいたそうだ。実に、15年ぶりの10代の入門者だった。

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