江川卓、小林繁、新庄剛志…主力だったのに突然引退した“忘れがたき名選手”

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「15勝できなかったら、ユニホームを脱ぎます」

 1979年、江川の巨人入団に際し、“人身御供”とも言うべき三角トレードで巨人から阪神に移籍した小林繁も、4年後の83年、「自分の思い描いたボールが投げられなくなった」と、30歳でユニホームを脱いでいる。

 移籍1年目に古巣・巨人相手に無傷の8連勝を記録するなど、22勝を挙げた小林は、翌年以降も二桁勝利を重ね、“トラのエース”の重責を担いつづけた。

 だが、小林自身は「あれ(22勝)以後、15勝や16勝しても、(ファンは)納得してくれないんだ」とトップを走りつづけることに疲れていた。巨人時代に痛めた右肘も年々悪化し、下半身の踏ん張りも利かなくなった。

 肉体的にも精神的にも追い込まれた小林は、83年のシーズンを前に「15勝できなかったら、ユニホームを脱ぎます」と宣言した。

 必ずしも“イコール引退”ではなかったが、6月25日の中日戦で、完投勝利目前の9回に大島康徳に同点2ランを浴びると、「簡単に同点にされて情けない」と潮時を感じ、8月ごろ、首脳陣に引退の意向を伝えた。

 安藤統男監督に慰留されると、まだ可能性が残っていた最多勝を目指し、再び心に炎を灯そうとしたが、9月15日の巨人戦で3回途中KOされるなど、3点台だった防御率が4点台に悪化、13勝14敗と負け越してシーズンを終えると、ついに「体力、気力の衰え」を理由に引退を発表した。

 もし巨人に残り、2番手、3番手の投手のままだったら、おそらく30歳での引退はなかったはず。小林自身も「あのトレードがなかったら、トップにはなれなかったかもしれないけど、もうちょっと長く投げていたとは思う」(矢崎良一著「元・巨人 ジャイアンツを去るということ」、廣済堂)と回想している。

「漫画みたいなストーリー。出来過ぎでしょ」

 試合後のヒーローインタビューで、突然現役引退を発表したのが、現・日本ハム監督の新庄剛志である。

 日本ハム移籍3年目の2006年4月18日のオリックス戦、2回に左中間ソロ、7回に満塁弾を放ち、チームの3連勝に貢献した新庄は、ヒーローインタビューのお立ち台に上がると、「今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを決めました」と宣言した。

 まだ34歳。突然の引退発言にファンはショックを受け、スタンドから「辞めないで」コールも起きた。だが、新庄は「みんなにはわからないだろうけど、プレーに納得がいかなかくなった」と、捕れると思った打球に追いつけず、狙ったはずの直球に詰まらされるなど、肉体的な衰えを理由に挙げた。

 3月25日の開幕戦で札幌ドームが満員になり、日本ハム入団時の夢を3年がかりで実現したことで、「僕の仕事は終わりと感じた」のも大きな理由だった。

「残りシーズンは今まで以上に楽しみたい」と宣言した新庄は、打率.258、16本塁打、62打点の成績で、球団の44年ぶり日本一に貢献。“持っている男”を体現したような最高のフィナーレに、「漫画みたいなストーリー。出来過ぎでしょ」と感激しながら、17年間の現役生活に別れを告げた。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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