円楽さんの「圓生」襲名計画は名誉のためではなかった 「偲ぶ会」で兄弟子・好楽は「必ず圓生も円楽も継がせる」

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好楽は「必ず圓生も円楽も継がせる」

 当の円楽さんは、自身の後を襲う後継者の名を明かすことはなかったが、

「円楽一門会のメンバーの中から選ぶつもりだったようです。その一人が三遊亭好楽(76)を師匠に持ち、人気と実力を併せ持つ三遊亭兼好(52)でした。もう一人は三遊亭円橘(76)の弟子・三遊亭萬橘(43)で、いずれも一門会の中堅どころですが、円楽は正統派の芸風で知られる兼好を有力候補と見ていたようです」

 円楽さんには「圓生が“止め名”どころか“死に名”になってしまう」との強い危機感があったと伝えられる。自身がつなぎ役となる構想は実現を見なかったものの、戒名は「泰通圓生上座(たいつうえんしょうじょうざ)」とされ、位牌には彼が最後まで行方を案じた大名跡の二文字が刻まれた。

「かねて円楽の訴えへの賛同者は決して少なくなかった。同期の春風亭小朝(67)は彼の死を受けて“(襲名が)かなわなかったのは残念だった。晴れ姿を見たかった”とコメントしたほか、平成22年の円楽襲名披露宴で歌った歌手のさだまさし(70)は“次は圓生の襲名で歌うつもりでした”と、彼の死を悼んだほどです」

 10月末には五代目円楽一門会による「六代目を偲ぶ会」が開催された。

「好楽は聴衆に“一門会が必ず圓生も円楽も継がせます。そうしないと名前が死んでしまう。後輩に継がせるのが私たちの役目”と訴えていました」(先の記者)

 こちらは、棺を蓋いて“名跡”定まらず――である。

週刊新潮 2022年11月10日号掲載

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