薬物、スマホ、通販……この世は依存症のタネであふれている

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

箱が届いた瞬間が興奮のピーク

 スマホやSNSへの依存はすでに大きな問題となりつつあるが、依存の対象は、特定のモノやサービスとは限らない。自分自身の「消費」行動そのものに依存する患者もいたという。

「私の患者のベトナムからの移民、チーはオンラインで商品を検索し、買うというサイクルにハマってしまった。何を買うかというところから興奮が始まり、それは配達を待っている間も続き、パッケージを開ける瞬間に頂点に達するらしい。

 残念ながら、アマゾンからの荷物のテープを剥ぎとって中身が現れてしまうと、その興奮は続かない。彼は安物の商品でいっぱいになった部屋と数万ドルの借金を抱えた。そうなってさえ彼はやめることができなかった。そのサイクルを回し続けるためにもっと安い商品──キーホルダーやマグカップ、プラスチックのサングラスなど──を注文し、到着するやいなや返品するという手段に出たのだ」

 つまりこの患者は、買うモノは何でもよくて、とにかく「買う」という行為自体から喜びを得られるようになってしまったというわけである。

 こうしたケースはかなり極端なものだと感じられるだろう。薬物と同様、特殊な人、意志の弱い人がはまってしまうだけで、普通の人ならそんな事態には陥らないと思うかもしれない。

 しかし、そんなふうに安心しないほうがいいとアンナ氏は警鐘を鳴らす。というのも、彼女自身が、40歳になった頃に、「恋愛小説に不健全な愛着を持つ」ようになった経験があるからだ。

 恋愛小説にハマること自体は、法的にも倫理的にも問題はない。しかし度を越すとどうなるか。

依存症医学の第一人者も「沼」にハマる

 アンナ氏の場合、ティーンエイジャーの吸血鬼が出てくる『トワイライト』シリーズが依存症のはじまりだったという。いわば「沼」にハマったわけだ。

 以下、彼女の告白である。

「『トワイライト』を読み終わると、手に入る限りの吸血鬼ものに手を出した。その後、狼人間、妖精、魔女、死霊術者、タイムトラベラー、預言者、読心術者、炎術師、占い師、宝石操り師……と移っていった。(略)

 平凡なラブストーリーにはもう満足ができなくなり、男女の出会いという古典的なファンタジーをもっと生々しく、エロティックにした表現を探し求めるようになっていったのだ。(略)

 状況がさらに悪化したのは、技術オタクの友人の熱心な勧めでアマゾンのキンドルを手に入れてからだ。もうわざわざいろいろな図書館から本が届くのを待たなくてもよくなり、また、特に夫や子供たちが周りにいる時など、エロティックな本のカバーを医学雑誌で隠さなくてもよくなったのだ。(略)

 要するに私は、月並みなエロ小説のチェーンスモーカーならぬチェーンリーダーになった。電子書籍を一冊読み終えるとすぐに次の一冊に移った。社交するより読書、料理するより読書、眠るより読書、夫や子供たちに注意を払うより読書。認めるのが恥ずかしいが、私はキンドルを仕事場に持っていき、患者を診る合間合間に読んだこともある。

 そして、どんどん安いものを探し求めていった。無料なものがあればそれを。(略)

 主人公の男女の間にある性的な緊張状態が、二人が抱き合ってついに解ける瞬間に私はふけりたかった。構文もスタイルも舞台も人物造形ももはや関係がなかった。私はお決まりのカタルシスが欲しいだけだった。そして、数学の公式のようなパターンに従って書かれている本というのは、私を夢中にさせるように作られているのだ」

 恋愛小説を「推しのアイドル」等に置き換えれば、自分のことだと感じる向きもいることだろう。

 もちろんどのような娯楽に夢中になろうと自由である。ただこの経験を経て、アンナ氏は、依存症がいかに身近な存在なのかを強く意識したようだ。

「私に起こったのは、人生を圧倒するような依存症を持つ人の生活体験に比べたらつまらないことだったが、衝動的な摂取というのは今日では誰でも、たとえ人生がうまくいっている時でも直面するものであり、ますます大きくなっている問題だ。私には優しくて愛情溢れる夫と素晴らしい子供たちがいて、有意義な仕事、自由、自律性とそこそこのお金がある。トラウマもなければ社会的混乱、貧困、失業などその他依存症の危険因子もない。それでも私は、衝動的にファンタジーの世界へとどんどん引きこもっていってしまったのである」

 日々の生活や人生には何らかの楽しみが必要であり、ドーパミンが放出されるような経験は決して悪いものではない。しかし、アンナ氏はこう述べる。

「依存性のある薬物や嗜好品、行動は一時的な解放感を与えてくれるが、長期的には問題を増すばかりである」

 スマホやSNSに代表されるように現代社会は、依存症を作ることを意識したかのような消費社会、いわば「ドーパミン経済」の渦中にあるといっていい。アンナ氏はそこで苦しむ患者たちと対話を繰り返したり、「ドーパミン断ち」を促したりしながら粘り強く彼らの人生を取り戻す手助けをしている。

『ドーパミン中毒』より一部抜粋・引用。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。