「関ヶ原の戦い」の戦場は「関ヶ原」ではない!?――衝撃の新説について第一人者が出した「真っ当な結論」

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 日本近世の転換点となった「天下分け目の戦い」である関ヶ原合戦。主役はいわゆる東軍率いる徳川家康と西軍をまとめた石田三成。戦場となった盆地は岐阜県の一番西側に位置し、古代には壬申の乱の舞台となり、東山道の関所で畿内と東国をわける不破の関がある。

「関ヶ原の戦い」あるいは「関ヶ原合戦」と呼ばれているのだから、この戦いがこの地で行われたと思うのがふつうだが、一次史料などをひもといてみると、この地で本戦が行われなかったのではないかという可能性もあるというのだ。...

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