暴言で引退の泉房穂・明石市長 殺害予告が100件超でもめげず…駆り立てた“原体験”

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泉氏を駆り立てる「小学校時代の苦い思い出」

 議会との対立や脅迫行為があってなお、泉氏を駆り立ててきたものは何か。背景にあるのは泉氏が育ってきた環境だ。「根底には小学生時代の苦い思い出がある」と語る。泉氏の弟には障害があり、子ども心に“差別”と真正面に向き合わざるを得ない幼少時代を過ごしてきた。

「4つ年下の弟が障害を伴って産まれ、我が家に戻ってきて、うちの家族の社会との闘いが始まりました。本当にひどい時代でした。すぐ近くの小学校にさえ、すぐには入学を認めてもらえず、行政から出された条件は①何があっても行政を訴えないこと②家族が送り迎えの責任を持つこと。漁師の家で親は早朝から漁に出ているので、兄の私が弟の手をひいて、2人分の荷物を持って毎日登校しました。弟に空のランドセルを背負わせてね」

 それもあって、と泉氏は続ける。

「両親は、同じような子をもつ方々と一緒に活動をし、母子寮の一部屋を改装して“障害児の居場所”をつくりました。弟は小学校入学までは、そこで過ごしました。兄の私は昼間は学校で生活をして、放課後は弟のいるその“障害者の居場所”に行き、リハビリのお手伝いなどをして過ごしました。障害のある子どもは本当は世の中にいっぱいいるのに、昼間の学校の教室には障害のある子どもがいないことに強い違和感をおぼえたものです」

 この考え方は市政に臨むにあたっても採用されたという。

「支援が必要なときには、みんなで支援しようというのが私のスタンスです。障害者、認知症高齢者、犯罪被害者もそうですが、特に子どもたちには等しく支援が必要です。障害福祉のみならず子ども施策の充実化を図るのは、私のスタンスからすれば当然の対応なのです。そして、必要な支援が得られるまちは、誰もが安心して暮らせるまちであり、そういったまちが選ばれることになります。今の明石市は10年連続の人口増で、まちも元気になり、地域経済も活性化し、税収も増え、市の貯金も50億円以上積み増せています」

 明石市では他にも「こどもの養育費緊急支援事業」が知られる。たとえば母子が離婚した元夫から養育費を受け取れない場合、これを行政が建て替え、また元夫に取り立ても行うという施策である。

「これまでのやり方がしみついてしまってるのが異常なんです。養育費の立替なんて本来は国が率先してやることで、自治体で直接やってるのは明石だけ。とにかく予算配分が異常なんが問題です。また子どもの話になりますが、他の先進国に比べて半分しか予算がつかないんじゃあ、子どもが貧困になるのは決まってる。親が孤立化したら、子どもに対する虐待だって起こりかねない。今の子どもの貧困、虐待というのは政治の貧困の現れですわ。明石は子ども分野で予算を倍増させ、児童相談所も市独自で新設したうえ職員も国基準の2倍以上配置しました。残念ながら日本は予算も職員数も明石の半分。こんなんで子どもの貧困や虐待を防げるわけありませんやろ」

 機関銃よろしく約1時間しゃべり倒した泉氏。「これで(記事は)書けるんちゃう?」と言うところへ、最後に一点、自身の今後の見通しを問うた。

「明石市長としてやれることは、ほぼやりきりました。いろんな条例を作り、予算の裏付けもできており、安定的に貯金がたまる状況にした。市長になる前から私が市長を辞めたあとのことは考えてましたから。自分でもこんなキャラクターで市長がそう長く続くとは思ってなかったので、よう12年ももったなと。いや、あ、もってないか、自爆してもうたわけやからね(笑)。でも、私が市長でなくても物事を進められる基盤は作りました。これは私でなくても、他のまちでも、国でもできることです。やれないとみんなが思い込んでいたことを実際にやれるようにするのが私の使命・役割と思ってやってきました。この後は、明石市をマネしてもらえばいいだけで、心ある市長であれば実現可能だと思います」

 実際に他市町村でも明石に追従する例が増え、市長のもとにはアドバイスを求める声が多く寄せられているという。これに意を強くした泉氏は、国に対しても働きかけをしていきたいと語る。

「政治家引退を表明したのは、暴言の責任を取るためです。市長の任期をもって、プレイヤーとしての政治家は終わりですが、今の日本の政治を良くしていくための活動は、その後も続けていきたいと思っています。幸いに弁護士であり、社会福祉士でもあり、政策立案は好きで得意なので、全国の首長や国会議員や中央省庁などに働きかけたり、お手伝いしたり、応援をしたりはしていく予定です」

 奥さんは何と言っているか。

「妻からは政治家に向いてないとさんざんいわれてきました。ある意味、そのとおり失敗してしまいました。でもこれでゆっくり家族で旅行にも行けるねって、優しかったです」

中西美穂(なかにし・みほ)
ノンフィクションライター。1980年生まれ。元週刊誌記者。不妊治療で授かった双子の次男に障害が見つかる。自身の経験を活かし、生殖医療、妊娠、出産、育児などの話題を中心に取材活動をしている。障害児を持つオンラインコミュニティ・サードプレイスを運営。

デイリー新潮編集部

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