なぜ日本と中国はここまで相性が悪いのか 「悪党」が統治し、民主主義を弾圧してきた歴史

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民間の営みを政府が武力弾圧してきた歴史

 その16世紀とは、さきに述べた「後期倭寇」の時代だった。「倭寇」とは文字どおりには、日本の海賊という意味ではありながら、内実はちがう。内外の貿易業者が取引をしていた沿海のマーケットに、政府官憲が法令違反だと検挙にふみきったところ、集まった商人は、中国人・外国人を問わずこぞって反抗した。それが「倭寇」とよばれた事件実相である。

 およそ300年をへだて、1840年に起こったアヘン戦争も構図はかわらない。こちらは対象が禁制品である麻薬だっただけである。その密輸は内外のイギリス人や中国人を通じて、ほとんど公然自由におこなわれていた。それなのに突如、禁令が目を覚まして密輸取り締まりの励行となった。それに対し、現地のイギリス商人から本国政府まで、こぞって異をとなえて開戦にいたる。

「倭寇」「アヘン戦争」ともに、現地の民意に背く強権を北京政府が発動し、民間の自主的な営みとその空間を官憲が法律武力で威圧弾圧するという構図だった。つまり現代の香港・台湾とかわらないのである。

外界と通じて中央政府に背くという構造

「後期倭寇」では日中の貿易業者が結託していた。ちなみに、さきにふれた台湾の鄭成功は、平戸生まれの日中のハーフで、そんな結託の象徴的存在である。アヘンを持ち込んだのはイギリス人ながら、ひろめた密売人は中国人であって、だから戦争では英軍に通謀する「漢奸」も多かった。密輸に関わって、みな潤っていたからである。

 商売であろうと麻薬であろうと、政治体制であろうと、外界と通じて中央政府に背くという構造、バラバラに分離しようとする動きには、今も昔もかわりはない。現代ではかつての貿易や密売に民主主義が代位したとでもいえようか。以前の中華帝国はそれを逆賊・反徒・漢奸とみなした。これが現代中国では「一つの中国」を損なう分離主義者となる。

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