山際大臣とベッタリの信者、教会大幹部の運転手だった! 元秘書も告発「資料破棄は200%ウソ」

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落選以降、信者の出入りが本格的に

 当時、後援会に所属していた元支援者が証言する。

「昔から、教団の機関紙を持ってくる信者が事務所に出入りしていました。だけど、私が後援会にいた落選前の時点では統一教会との関係は深くなかったな。当時の後援会は会長を置かず、副会長的な立場の4人の合議制でした。山際さんは酒も飲まず“金がない”“金は使わない”というのが口癖。自身が経営していた動物病院の役員を議員になった後もしばらく続けながら、野心家で財をなしたいという思いが強かった」

 それゆえなのか、

「普段は上から目線の発言が多く、プライベートもほとんど明かさないので人望がなかったんだよ。落選して、後援会は事実上の解散、6人くらいいた地元の秘書も全員辞めてしまった」(同)

 落選後、山際事務所に私設秘書としてある男性が入所。後に統一教会との窓口役を担うことになる。

 先の政界関係者が言う。

「統一教会の関連団体など、付き合い自体は初当選時からあったのですが、落選以降、私設秘書の男性を介して、山際事務所には複数の教団関係者や信者が本格的に出入りするようになりました。田中さんもその一人だったんです」

教会大幹部の運転手

 この田中氏はただの信者にあらず。警視庁公安部の監視対象でもあった。

 本誌は警視庁公安部のカルト担当が極秘裏に作成した捜査資料を入手している。その資料を精査すると、C(Churchの意)と符牒された名簿に、マークすべき統一教会関係者の名前がズラリと並ぶのが確認できる。実は田中氏はその一人として列挙されていたのだ。

「勤め先や本籍地、入会の経緯に加え、引っ越し業などを手がける都内の統一教会系企業に勤めていたことも把握されていました」(警察庁関係者)

 田中氏に関して重要なのは、ある統一教会幹部との関係だ。その捜査資料に大要、こう記されている。

〈田中は1998年5月、澤田拓也が統一教会の街宣を行うために世田谷警察署に申請を提出したときの運転手である〉

 この「澤田拓也」とは、安倍元総理が殺害された直後の7月11日、都内のホテルで統一教会が会見を開いた際、壇上の田中富広会長の隣に座っていた澤田拓也総務局長のことだ。田中氏は統一教会の大幹部の運転手を務めるほどの人物だったのだ。

 澤田氏は1961年生まれ。早稲田大学政経学部に在学中に入信し、08年から教団本部渉外部長として広報を担当していた。ジャーナリストの鈴木エイト氏が解説する。

「かつては教団の関連団体で学生組織の原理研究会(CARP)本部に所属したこともあり、若手信者を束ねてきました。着実にステップアップし、いまは教団ナンバー4の立場にあるといえるのではないでしょうか」

 さらに付言すると、

「澤田氏は山際大臣の選挙区の高津区にある教会の教会長を務めた経験があり、高津区内に居住していたこともありました」(先の警察庁関係者)

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